心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

救いようがない気がするので、自分を変えようと思う

すっかり生活から忘れ去っていた瞑想を再開しようかなあ、と思っております。

原因が外的要因なのが悲しいんだけど、前から何度か当ブログでも書いている同僚のせいです。
「言われたことしかやらない」どころではなく「言われたことでもやりたくないことはやらない」同僚。それでいて勤続年数は長いせいかプライドの高さが垣間見えるというね。幸い接点がほぼないものの、その行動は他の同僚と異なるため、悪目立ちする。
感情をコントロールする理性を身につけられないまま大人になってしまったことに対しては可哀想とも思うけど、結果やってることはただのサボりと他同僚全員に対するスーパー失礼行動なので、辛辣ですが社会人としては終わってると思う。
なんでコイツこれで他の同僚と同じ給料もらっとんねん。罪悪感感じろや!……と思ったけど、そもそもそういう感覚持ってたらこんなことしないか。

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ネガティヴな感情の方がパワーも保存力も高いらしく、仕事してない時でも隙を見せると「あのヤロウ……」って感じで例の同僚に対しての怒りが想起されるわけでして。そんなもん人生において一番勿体ない脳の使い方なので、それの対策を色々考えている。
考えたくないと思うほどに考えてしまうのは本当に嫌なシステムだね、脳。

ということで見ている限り、もう当人がまともになる可能性が環境含めてほぼゼロ。そういうところを注意してくれるような真の友人もいないようだし……というか、親しい人からもそういう観点では見捨てられている可能性が。やっぱ笑い話の中でちゃんと注意し合えてこその友であり仲間よ。
人を叱ったりアドバイスしたりするのは、それでその人間が良くなる可能性を見出しているから。そういうこともされないということは、つまり仕事に対する姿勢に関しては周囲も見限っているように思います。
よく言う話だけど、一見否定しない・優しい人というのは「そこまで」の浅い関係であって、それどころか
実は期待していなかったり無関心というパターンがある。ダメなことに対して「それはいけない」とちゃんと言ってくれる人に出会えていないのは、まあそういうことなんじゃないですか……。
とまあ分析はこの辺にしといて。そもそもこれだって側から見ての一方的な思い込みにしか過ぎないしな。


とにかくそんな感じで、自分にとってのストレス要因となる人間が改善する可能性が皆無。少なくとも自分が見る限りでは。
そうなるとこっちがそれに精神をチリチリさせられることの方を改善する方が早いので、瞑想再開すっか!というわけ。
ウイスキーやゲーム、読書、料理といった趣味はもちろん、筋トレやたまに行く美術館・博物館も重要。あとこうやってアウトプットするのもストレス発散には繋がるみたいですね。こうやって考えると我ながら割と多趣味だな。
割とそういったストレス発散アクション自体が多いので、ストレス自体はあるけど全然辛くはないんですけどね。飯も良く食うし良く寝る。
そして人数は少ない代わりに言うべきことを言い合えるような心を許せる友人がいる。そもそも自分が遠慮なく言うタイプだと思ってるので、裏を返すとそれをするっていうのはそれをされる覚悟をしているんでね。

ここに瞑想を加えていきますよ。長いことやっとなかったのでほとんどリスタート状態なので、改めて家にある書籍を読み返すところから……。