心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「苦労は買ってでもしろ」への現在の私見

若い時は「買う必要がある苦労なのかをしっかり見極める方が大切やろ」と思っていて、今でも前提は変わらずその考え方なんだけど……限定的に「苦労は買ってでもするべき場面」が見えてきまして。

悲しい話だけど、それに考えが至った理由が「職場のやたら視野の狭い同僚の様子を眺めていて」というのがまた。

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やってる業務の中に「内容が結構面倒なんだけど入ってきたら他の仕事よりも最優先で速攻処理してね」というものがあって、まあ入ってきたら一旦その時やってた仕事をキリのいいタイミングで中断してその面倒な仕事に取り掛かるわけですよ。

で、上に書いてる人がワザとなのか気が付いてないのか分からないけど、その仕事が入ってきてもそれをやらずに抱えてる仕事し続けてるっぽいんですよね(直接見れるわけじゃないから断定できないが、状況見てるとそういう場面が多そうな感じ)。

まあそんな感じでその速攻処理しなきゃいけない上に内容が厄介な業務に対する経験値がこの人は足りないので、いざその仕事しかなくてそれやるよってなった時に分からなくなって上司に訊くってのがとても多いんですよね。
……何となく言いたいこと伝わったでしょうか。

必要ない苦労はわざわざ買わなくてもいいだろうけど、最終的に必要になる苦労に対しては最低でも逃げるなよって感じかな、今の考え方は。


ただ今回の考えに思い至った人はマジで視野が狭いというかおっちょこちょいというかなので、おそらくやりたくないから回避してるんじゃないんだろうなあと。
うちの会社は勤務表が手書きで、まあ出勤時間と退勤時間書くんですけど。
休日出勤で午後から仕事だった日に、この人が出勤時間も退勤時間も書き間違ってたのは流石に「落ち着けよ」と思ったもんです。