心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

人類がパンに至るまで

ふと、パンってすげえ面倒な工程を経て作られているなあと思いまして。

Googleで検索すると「パンのはなし」というサイトが出てきました。

パンのはなし:パンの歴史
冒頭で「今から8000年〜6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました」とあるんですが、まずその小麦粉を作るまでが結構手間じゃないですか?
人類はわざわざ小麦を石臼などで挽いて、粉末にすることをはじめたんだよなあ……。

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現代は機械が自動的・効率的に大量生産してくれるので一瞬勘違いしてしまいそうですが、昔は全て人力だったわけです。
小麦を人力で粉末にして、それに水を混ぜて練り、発酵させて焼く。
これが紀元前300年ごろには、既に技術体系としてある程度確立。ローマにおいて職人ギルドの成立と、パンの量産が始まったというのだからすごい話。

ここまで手間をかけてでも食べていたのは、やはり小麦そのものが安定して大量に生産できる食物だったからなんですかね。
米もそうですが、収穫したところから実際に食べるところまでの手順というか手間が多すぎるというか。

コンニャクなんかもそう思うんですが「なぜそこまでして食べる?」みたいな食品って結構あります。
きっと他に食べるものがなくて、なんとかして食べるために編み出した工程だったりするんでしょうね。
パンやご飯も、はじめはとりあえずそのまま煮て食べたりして「あんまり美味くねえなこれ」「でもこれめちゃくちゃ取れるし、いい感じの食べ方ありませんかね?」みたいな戦いがあったと考えられる。

日本でも、米を効率よく脱穀する千歯扱きが誕生するのは江戸時代に入ってからですからね。それまでは地道に叩いて脱穀していたと思うと、現代人のスピード感からするとまあ大変だったことでしょう。


小麦を収穫したら石臼で挽いて、それに水を混ぜて練り、それを焼く。
本当の始まりはきっと全粒粉みたいに粗めだし、イースト菌による発酵もなかったから今に比べたら簡単なのかもしれませんが……それでも火を通せば食べられる肉類や、ものによってはそのまま食べられる野菜や魚に比べると手間は大幅にかかっていたと思うんですよ。
この辺を思うと、やはり人類において食文化というのは紛れもなく「文化」なのだなあと思います。他の動物には基本的に調理の概念はありませんしね。