心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「渋滞はデマ」を批判的に読む

先日「能登半島地震は他県の迷惑ボランティアで渋滞はデマ。」というnoteがちょっと話題になりました。

これが、個人的には実にネットリテラシーの教材にちょうど良い文章だと思ったんですね。
書かれていることを全く何も考えずにそのまま読むと「なんだよ本当は渋滞してないのかよ」で終わってしまうんですが、逆にちゃんと考えながら読んでみると引っ掛かることだらけの文章。
そういう意味で、情報の正確性を理解して内容を正しく吟味するようなネットリテラシー能力のトレーニングにピッタリだと思ったので、タイトルの通り批判的な目で読むことでトレーニングを行いつつ、自分なりの読み方を書いてみます。

まずは元となる「能登半島地震は迷惑ボランティアで渋滞はデマ。」というnoteを読んでいただく必要はあるので、少々お時間は頂きますが事前にご一読ください。
【選挙ウォッチャー】 能登半島地震は他県の迷惑ボランティアで大渋滞はデマ。|チダイズム
一旦こちらを、自分なりに色々疑問に思う部分がないか考えながら読んでみてください。

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では、ここからは解答編。まあ解答編というのもおこがましいですが。
とりあえず自分が読んでみて浮かんだ、このnoteに対する疑問点をいくつか書いていきます。

筆者の政治スタンスの問題

まず本文の内容以前のところに、この文章には大問題があります。
序文の時点で「現地を見たわけでもないネトウヨ系のバカども」という表現が出てきますね。これが出てきた瞬間からこの後の文章全部を疑って読む必要が出てきます。
要するにこの筆者は現政権、およびそれを支持する人全てを敵視する政治スタンスなわけです。しかもそのレベルは「ネトウヨ系のバカども」なんていう表現から分かるようにかなり強烈なもの。

本人にそういう意図があるのか、それとも無意識なのかは分かりませんが、根本的に今回のnoteは「そういう政治スタンスの人間が書いたもの」という認識で読み進める必要があります。
つまり客観的な事実を、右派にとっては不利な形で、そして左派にとっては有利な形で筆者が解釈したものが文章化されているという前提のもとで読み進める必要があります。

このnote自体に、現政権およびその支持者を否定する意図が込められていることは踏まえた上で読まないといけません。
「渋滞しているという話はデマである」という客観的事実を結論として導いているように見えるし、実際に渋滞は発生していなかったようですが、その裏側を考えて読む必要があるということです。

時系列の問題

では本文に入っていきます。
筆者の言い分は「実際に現地に行ってみたら全然渋滞してなかったではないか」なんですが、問題はこれが「いつの話なのか」です。
このnoteは1月9日にアップされたもので、本文冒頭の写真は1月6日に被災地方面へ向かう道中のもの。そうなると文中の「3連休」は6〜8日の3日間だと考えられます。

この1月6日という日付、はじめに「渋滞しているので来ないでください」という発表がされた日からそれなりに日が経っていると思うんですね。
例えばこれが1月2日の話とかならばまあ分かります。

ただ、地震発生から5日経過していて、その間もずっと自治体などは継続的に被災地への個人レベルでのボランティア流入を控えるように発信を続けていました。
ここまでの流れを考えた時に、1月6日時点で渋滞が発生していないというのはある種必然だと思うんですね。

先に渋滞から考えるのではなく、むしろ「移動を控えてください」という発信が先にあって、それを受けた大多数のちゃんとした人は実際に移動を控えたので、その結果が「渋滞が起きていない」という事実として現れた。

そもそもなんだけど、石川県や馳浩県知事は「現在すでに渋滞が発生しているので来るのは控えてください」というニュアンスで能登方面への移動自粛を訴えたのか?という疑問があります。その発信された「渋滞」を、今回のnote筆者はいつまで経っても現在進行形のものだと勝手に変換していませんかね?
何日か日が過ぎた時点で、それは「渋滞が発生しないように、事前に移動を控えるようにお願いする」意味合いに変化したはずです。そもそも渋滞してしまったら困るんだから、渋滞が発生する前に、渋滞が起きないように発信するわけですから。
これもまた2日の話とかならば分かるんですが、6日の段階で「現在も渋滞が起きているから、連休中に来るのは控えてくれ」って誰が言ってたんでしょうかね?

少なくとも、いつまでが「現在進行形で渋滞しているからこその注意喚起」で、いつからが「渋滞が発生しないようにするための前もっての注意喚起」だったのかが不明瞭です。
で、筆者はこれを全部前者の方として解釈した上で論理を組み立てているのでよく分からないことになっています。

この「誰がそんなことを言っていたのか」「いつからいつまでが渋滞発生中での発信だったのか」といった話は次の疑問にもつながります。

誰が「石川に行くな」というメッセージを出したのか。能動的な情報収集の必要性

そもそもなんですが「石川県へ行くな」というメッセージはどこから出てきたのか?と思って調べると、少なくとも自分が調べた限りでは出てきません。
石川県の公式Twitterでも「能登方面への不要不急の移動は控えて!」といった表現になっていて、どう考えても「被災地に行くな」というメッセージであり「石川県に行くな」という発信は見当たりませんでした。
自発的にTwitterやネットで検索をかけて調べると「石川県へ行くな」という発信をしている自治体や政府機関などは見つからず、それを言っているのはそれ以外の外野です。

というか、今回の場合そういった自治体の発信を「石川県へ行くな」という形に勝手に変換して文句を言っているのは筆者自身です。申し訳ないけどこれは悪質だと思います。

この辺りの動きから情報収集能力としてのネットリテラシーが見えてくるんですよね。
こうやって自分から調べてみると「誰も石川県に行くなっていう発信はしてなくね?」ということに気が付くんですが、自分で調べることをしない人はメディアなどから受動的にしか情報を受け取れません。そしてむしろ、そういうメディアが「石川県へ行くな」みたいな形にして流している気がする。
そもそも日本のメディアが発信する情報を意図的に選択して報道するので、今回のように石川県や馳県知事が言ってもいないことを言ったことにして論説を組み立てたりしてしまう。

他の例を一つ挙げると、地震発生直後には政府や岸田総理に対して「何やってんの」「対応が遅すぎる」といった意味合いのツイートなどが散見されました。
実際に政府の対応を自分から調べてみればすぐ分かるんですが、地震発生から1分後には対策室を設置、15分後には各省庁に対応を指示、30分後には自衛隊に災害対応部隊が設立されています。遅いどころかめちゃくちゃ速いんですよね、実際には。
こういうこともメディアは報道しません。物事の真偽を確かめるという意味でも、能動的に情報収集する能力がないと今の時代はダメですね。

「ネットの言説に流されているネトウヨ」という感じで今回の渋滞について批判している筆者ですが、上に書いた迅速な政府の初期対応も報道されないが故に「ネットの言説に流されて政府批判する左派」が多数いたわけで、まあどっちもどっちじゃない?という気がします。

抽象化

ここで自分語りを挟ませていただきますが、現在読んでいる本があります。『具体⇄抽象トレーニング』です。

新年早々自分の中ではかなりのスマッシュヒット。今回のこの記事を書くにあたっても、この本で説明されている考え方が非常に役立っているので、引き続きそれを使いながら書き進めてみます。

今回の場合筆者が実際に現地に行って見た「渋滞していなかった」というのは具体の領域のお話です。
一方「渋滞しているというのはデマである」というのは一段上の抽象的な結論であり、現地は渋滞していなかったというだけの話では導き出せない話のはずです。今回のnoteの内容では「デマである」の部分に繋がる条件や因果関係の材料が全く足りないか、その繋げ方がおかしいからです。

『具体⇄抽象トレーニング』の中では、「抽象化」することは複数の具体的材料を結びつけることだと書かれています。
今回の場合「1月6日の時点で現地は渋滞していなかった」「自治体は能登本面に向かわないように地震発生直後から継続して発信していた」といった具体的な個別の事象から繋がりを見つけるのが抽象化で、これを考えてみましょう。
時系列も踏まえて考えると、やはり先に書いたように「前もって能登方面への移動を控えるように繰り返し発信していたので、結果渋滞は発生しなかった」と考える方が自然だと思うんですが、どうなんでしょうか?

「実際に見たもの」から「目に見えないものを見る」のが抽象化。そして何より、これが他の動物にはなくて人間だけにある能力でもあります。
語弊を恐れずもう一歩踏み込んで言うと、人間には「見えなくても見ることができる」という能力がある。もちろんこれは間違った見え方に繋がってしまう可能性も多々ありますが、今回の筆者の場合「渋滞しているという言説がデマである」という結論ありきで、初めからそこに繋ぐために事実を歪に繋いでいるので、個人的にはおかしな構造に見えます。
抽象化しているように見えて、実はそうではないということですね。

考えるべきなのは「なぜ渋滞していなかったのか」

個人的な結論としては「渋滞はデマ」という筆者の言い分が事実かどうかを判断するには、そう判断した日付がおかしいと考えます。というか、正確に言えば筆者がそう判断した日時などは本文中からははっきりしないので判断不能です。
一応読んだ限りで仮定するとすれば、文中から察するにおそらく6日。そうだとするとここまで書いてきた通り「渋滞しているという話がデマ」というより「渋滞しないように発信を続けてきたから渋滞していない」の方が自然な結論だと思います。
結局、noteを読んだだけのこちらからは「デマだったのかは分からない」。断定できないことに対して、分からないという結論を一旦出せることも知性ですよ。

で、もう一歩踏み出すと、実際に現場に行った筆者が本当に考えるべきだったのは「なぜ渋滞が起きていなかったのか」だと思います。
前述の具体化⇄抽象化の話を引き合いに出せば、今回「自分の目で確かめてみたけど渋滞していなかったからデマなんだ」で終わってしまっているのが筆者の思考の限界を表していると思うんですね。それこそこれが具体化のステージの一番下みたいな位置ですし。「渋滞していない」ことと「渋滞しているというのはデマである」ということは、少し考えれば分かりますが直接結び付きませんから。
まず、渋滞していないならいないでいいことだと思うんですけどね。スムーズに被災地支援が行える状況ってことだし。なぜそれを素直に受け取ることができないのか……。

まあ、今回の筆者の場合「ネトウヨ系のバカども」なんて書いてしまうほどの偏った政治スタンスによるバイアスが強烈にかかるので、無理でしょうけど。基本的には右派を否定するために書かれた文章だと思われるので、フラットな気持ちで「実際に見てみたら渋滞が起きてないじゃん、何故だろう?」なんてことは決して考えることはできなかっただろうと思います。
渋滞が起きていない現場を見た瞬間、おそらく「この事実を突きつけてネトウヨどもを黙らせることができるぞ!」みたいな気持ちがめちゃくちゃ増大したんじゃないですかね?

渋滞以外の話でも「海外メディアは現地入りしてるのに自衛隊は遅い」とか書いてますけど、物資や装備、そもそも人員数も圧倒的に量が異なる1メディアと自衛隊を比較していること自体がナンセンスだし、迷惑YouTuberなどのこともこき下ろしているけど「行くな」と言われている現地に向かっていることは筆者も同じだし……。
まあ、ここまで長々と書いてきましたけど。そもそも「実際に現地を見ないと分からないものです」で書き始めているこのnote。その現地を見る目がゴリゴリに左派の思想で曇っているから、今回取り上げたnoteから分かることは「現地は渋滞していなかった」という事実だけですよ、おそらく。他の全ては筆者の強烈な思想が影響しているから、ほぼ文章全体において真偽が判断できないというのが正しい見方だと思います。


当然ここまで書いてきた自分の文章も同じですよ?そんな左派思想の強いnoteを批判的に読み解いてきたのだから自然と右寄りになっているでしょうし、渋滞と移動自粛要請の発信の時系列や因果関係についても勝手に推理して書いただけです。
つまり自分の書いたこの文章を読んでいただいた方には、ここまで読んできたことに対しても批判的な目を向けて欲しいということです。

自分が考えるネットリテラシーというのはそういうもの。基本的に「全てを疑って、自分で調べる・考える」フェーズを挟んでいかないといけません。
正直結構疲れますが、これをやらないとそれこそしょうもないデマに騙されてしまったりする。


例えば先日、ラサール石井さんが発信した「被災者にホテルや旅館に泊まる金があるか」って話とかね。
実際には災害対応として国や行政から補助が出るため、旅館やホテルが被災者から宿泊料を取ることはないか、あっても限りなく安くなるというのが事実です。
ラサール石井さんは今回のnote筆者以上の偏った思想をお持ちの方なので、こういうデマを流してしまうんだよね。これを鵜呑みにして「旅館やホテルには行けない」と思い込み、苦しんでいる被災者さんがいたとしたらどうするつもりなのか。
政府から虚偽情報に対して注意するような文面まで出てきたからなのか、随分時間が空いてから言い訳混じりの謝罪ツイートをしていました。うーん……。とりあえず当該デマツイート自体削除とかしたらいいんじゃないかな?コミュニティノートが付くと削除できなかったりするんですかね?