心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

エンパシー

先日ちょっと当ブログ内でも触れた「エンパシー」という能力について。

Googleで検索すると、トップに「自分とは異なる価値観や考え方を持つ他人に自己を投影し、相手が何を考えているのか、どう感じているのかを想像する力のこと」と出てきます。
いわゆる「シンパシー」にも近いように見えるけど、自分の解釈ではシンパシーは感情的な共感。一方でエンパシーはそうしようとして行う知的な共感です。
エンパシーに関しては、ある程度訓練をしないと獲得できないようなスキルの一つのように見える。

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「自分とは異なる価値観や考え方の人に自己投影し……」の部分がミソで、シンパシーの場合はおそらくこれができない。似たような価値観・考え方だからこそ、感情的に同調できる……というのがシンパシーでしょう。

だから異なっている相手に自己投影する時点で、エンパシーは一種の知的作業なのだと思います。故に訓練しないとできない。
そんなできない人が、ネットの世界にはすごく多い気がしますね。だから芸能人とかをむちゃくちゃに叩く人が出てくるというか。


最近の身近な件だと、ウマ娘でつい先日実装された新衣装メジロアルダン
パンツスタイルの衣装なんだけど、この服装が「解釈違い」ってことで一部の人が騒ぎ立ててTwitterでもしばらくトレンド入りしていた。
これに関しては、個人的な意見としてはメジロアルダンは特に女性的なキャラクターだと思っているので、個人的な解釈としては今回の衣装はあんまり刺さらない。つまり自分の中ではたしかに「解釈違い」ではある。
ただこれは、極めて主観的な捉え方でしかない。要するに「ドレス着たアルダンの方が良かったなあ」という個人的な願望なだけです。
Twitter見てると一部やべえ人がいるんだけど、なんというか「解釈違い」という言葉に置き換えて、個人の願望を一般化し、自分がマジョリティであると正当化しようとしているようにしか見えなくてちょっと気持ち悪いというね。

で、そんなメジロアルダンの新衣装からエンパシーについて考えます。
自分としては今回の新衣装は刺さらなかったわけですが、当然ながら好意的に受け取る人も多い。そういう人の意見も読んだ上で「なるほどねえ……」と思うのが、ある種のエンパシーではないかと思うわけですよ。
それができずに「今回のアルダン新衣装は解釈違いだ!」とかひたすら騒いでいる人には、エンパシーという能力が足りてないのかな、なんて。

「自分は納得できない物を叩く」ってことしかできないのは、やはり思考レベルとしては低い。何よりこれでは対人関係において平和が訪れません。
「自分は納得はできないが理解はできる」という度量を獲得する上でも、エンパシーという考え方は非常に重要なように思います。