心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「ズルはできない、俺が見てるから」

今回の記事のタイトルは、元プロ野球選手の松井秀喜氏の言葉。
今の職場にいる「やりたくない仕事をしれっとやらない人」を見つつ、それを反面教師として己を律してきたわけですが……そんな自分の在り方をピタッと言い当てた言葉だなあと(手前味噌)。

ただこの「自分が見ているから」という感覚、極めて重要な気がします。
これは「お天道様が見ているから」なんかとも近い概念だと思うんだけど、要するに他人の目がないところでも自分を律することができるのか、というのは人間的な器としてすごく重要に思う。

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筋トレとかもある種この感覚はある。
誰かに強制されたわけじゃなく、自分の意志で始めたことだからこそ「自分が見ている」というところがないと甘えてサボります。まあ筋トレに関しては最近の自分サボり気味だからしっかりせな!って感じだけど。

細かいところだとお掃除とかね。
よく見たら汚れているテーブル(他の人は気が付いていない)。それを「気がついちゃった以上は仕方ねえ」と思ってちゃんと掃除するのか、あるいは「めんどくさいなあ……」と思ってそこは掃除しないのか。

万引きとかもこれかもしれない。
要するに「他の人に気付かれないように物を盗る」わけだから。それでも「盗っている自分」に自分は気がついているはず。

ちょっと松井秀喜氏の「ズル」という言葉からは離れましたが、人が人として「自分が見ているから」は正しく生きるためには必要な考え方な気がします。
これがないと何かしらの形で道を踏み外すように思う。

……まあそういう話で言うと、はじめに挙げた職場の人間なんてのは自分どころか「他者が見ていてもズルをする」わけで、精神的なレベルとしては相当低い……というか、どんどん自身の精神に穢れを蓄積しているだけなんだよなあ。そうやって周囲からの信用も失い、自分自身の精神に澱みが溜まる……と。大丈夫なの、本当に?
現在読んでいる本「多様性の時代を生きるための哲学」の中でエンパシーという能力についての対談が取り上げられていて、職場の人の場合はこの能力の欠如も影響してそうな気はする。

この「エンパシー」という能力については読んでいて結構興味深かったので、後日掘り下げて書いてみるかもしれません。