心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

国葬を振り返る

国民の6割が反対とかメディアは報道していたけど、蓋を開けてみたら安倍元総理が日本国民に愛されていたことがよく分かりましたね。自分も東京に住んでて仕事休みとかなら行ってたと思う。
テロめいたことも起きず無事に行われたし、あと日本人ってまだ大丈夫かもな……と少し安心した。政治批判はいいけど、亡くなられた方に対して限度を超えた行動・言動だったと思うからね、国葬反対派の一部に関しては。

時間を作ってでも献花に行った人の多さ。自分みたいに行ければ行っていたような人も潜在的国葬賛成だったとすると、メディアが今まで言ってきたことは割と当てにならないんじゃないかなあ、と。
献花のために並ぶ3kmにも及ぶ列と、空から見た国葬反対デモの人数を比較すると……ね。

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ということで国葬について、いろいろ考えてみます。自分はそもそも国葬には賛成していた立場なので、どうしてもその立場が反映された内容にはなってしまうと思うのでご了承ください。
国葬反対の人は読まない方がいいです、多分イラっとすると思うので。

国内の報道

国葬に関しては長いことそれに否定的な面を強調した報道が続いていたと思うし、実際に「国葬に反対する人が6割」という報道はその典型かなとは思う。
結局実際には万を超える規模の献花待ちの列ができるほどだったわけで、これを見て「国民の6割が反対していた」とはとても思えないんだけどね。やはりそのアンケート自体が分母が正しくない。「そのメディアからのアンケートに答えた人」という限られた分母であって、これは国民全体ではないわけです。毎度のことながらこういうアンケートって賛成の人は別に反応しなかったりする(不満がないから)。逆に反対している人は自分の意思表明のチャンスとばかりに答える傾向があるから、まあそういうことなのかな、とか思ったりして。
メディアによる国民の多数が反対している“と思わせる”偏った報道なんかに対して、海外からメスが入ってくれるといいんですがね。
なぜこんなに反対されるのか、みたいなことは海外でも報道されていたらしく、実際の国葬の様子を見た時にそういった海外メディアは「日本のメディアが言っていたことと違う」と思ったんじゃないか。そのような日本のメディアが散々報じてきたことと実際の国葬の乖離から分析して、今の日本メディアを一回掃除してもらうきっかけになったらいいなあと思います。現在の日本のメディアの異常性が浮き彫りになって、こういうことを少しでもやりにくくしてくれれば。

反アベ勢力

散々自分達が言ってきたことが、国葬に並ぶ列の多さなどを踏まえると否定された感じじゃないかと思います。一部野党の議員がわざわざ欠席宣言していたけど、国民感情と乖離している人が議員やってるんだからそりゃいつまでも野党だわ、と思った次第。だって少数派の支持を集めるだけの行動しているんだもの。
国葬翌日も「国葬終わっても国葬反対」だとか「私は安倍に励まされていない」とか、頑張ってTwitterハッシュタグをトレンド入りさせていたみたいなんだけど……まあ、全部化けの皮が剥がれた感じ。実際の人数は少ないから、一人が何度も呟けばトレンド入りさせられるTwitterなんかで、その声が多い「ように見せている」だけなのがよく分かります。実際の国葬反対デモの盛り上がりの弱さを見ると。逆にいうとTwitterのような「少数人でもそれっぽく見せられる世界」でだけ活躍しているんだろうなあと。構造自体はツイフェミと同じ。

反対デモ参加者の少なさを指摘されると「実際にデモに参加していないけど反対の人はたくさんいる」って反論もちょいちょい見かけたが、それ言ったら「実際に献花には行けなかったけど本当は行きたかった人もたくさんいる」わけでして。どういう計算すると、それらを足した時に反対の方が多いってイメージできるんだろうな。なんで見えてる数値がひっくり返るくらいの想定で話できるのか……。
統一教会信者を動員した」とかいうこと言い出した漫画家さんもいましたね。まあ人数はゼロではなかったと思うんだけど、数万人規模で動員できますかね、平日昼間に。
なんというか「国葬は失敗した」ということにしたくて(というか自分達にとっては失敗してくれていないと困るので)必死すぎてちょっと笑えてくるんだよな。
「思ったより献花も少なかったですね」とかも、じゃあ反国葬デモの人数の少なさはなんなんだって話だし。

もちろん安倍政権は問題も多数抱えていました。アベノミクスの功罪とか統一教会との関係については、今後も精査して現政権以降継続して改善していく必要がある。
ただし国葬当日、それが行われている同時刻に反対デモを行って、邪魔をするかのように騒音を出したり、安倍元総理の顔写真を的にした射的屋台を出したりというのは常軌を逸している。こういうのは政治批判とは呼びません。というか、ここまでの憎しみ?みたいな感情はどこから来てるんだこれ……。
ということで一つ心理学的に考えられるのはルサンチマンかなと。自分の人生に多かれ少なかれ不満があるんだけど、それの原因として分かりやすいターゲットに安倍元総理が選ばれてしまったんだろうなって。
実は自分が変われば好転することって多々あるんですが、そういう「自分を変える」方に目が向かない。他者をみんなで叩いている方が楽で、そういう「逃げ」行動なんだと思う。
安倍元総理を攻撃することで自分のアイデンティティを維持しているという哀しい人たちなので、その安倍元総理がいなくなると存在意義がなくなってしまうんでしょう。だから亡くなっても、国葬が終わってもまだ叩こうとするという。

目的が本当に政治を良くすることならば、その安倍元総理の流れを受け継いでいま政治を運営している自民党と岸田政権に批判が向いていないとおかしいわけです。それよりも安倍元総理への攻撃を優先するのだから、目的がそもそも歪んでいるんだと思います。

逆に献花の列が10万人以上みたいなことを書いていた人もいたけど、これはこれで話を盛りすぎでしょあね。政府発表で25000人程度らしく、まあ実際そのくらいなのかな、と。

政府の対応

結果としては国葬をやって良かったなと自分は思うんだけど、岸田総理はこれを自分の手柄だと勘違いしないで欲しいんですよね。失敗ではなかったけど、じゃあ国葬が明確に成功だったのかと言われたらそこもまた疑問符。失敗する失敗するとメディアが散々焚き付けてきた割には、随分人が集まったなという感じ。
正直岸田総理の様子を見ていると、ここまでの大した成果を出せていない岸田政権の箔付けとして国葬を利用しようとしている部分を感じるんですね。

あくまでも今回の国葬にこれだけの列ができたのは、安倍元総理自身に対してのもの。岸田政権がその段取りを上手くやったとかそういう話じゃなくて、むしろこんな説明不足、政治もガタガタの岸田政権下で行われた国葬でも、安倍元総理のためにこれだけの人が集まったというように考えていただきたい。実際国葬の段取りはボロボロだったみたいだし。申し訳ないが他の人が総理だったらもっといい形で国葬できたと思う。
とりあえず国葬は無事に行われたけど、これを喜ぶんじゃなくてここまでの色々を反省していただきたいなあと思います。岸田政権は問題山積みなことには変わりない。

仙台の様子

最後に、仙台在住なので仙台の様子も書いておきましょうか。

産経ニュースのサイトから。結構ツッコミどころ多くて面白いのでちょっとツッコんでいこうかなと思う。

主催者発表で300人集まったらしいけど、大体こういうのは主催者がかなり人数を盛るらしいので、実際は100人前後とか、そのくらいだったんじゃないかと思います。
「弔意の押し付け、許さないぞ」などと声を挙げながら市内を練り歩いた……というところがなかなかツッコミどころで、別に押し付けてないっていう。実際国葬している最中に、国葬反対デモを行なっているじゃないですか。これがまさに言論や表現の自由であり、弔意を押し付けられていない証拠だと思うんですが。
さらに「われわれも安倍氏を悼む気持ちがないわけではない」というのが個人的には「よくそれ言えたな」ポイント。その安倍氏を悼んでいる最中に、それと正反対のことをやりながら何が悼む気持ちだよと。国葬反対という意見はあって然るべきですが、多少なりとも悼む気持ちがあるのなら、国民の多くが悼むために国葬に並んでいる中でその気持ちを否定するようなことをして何を言ってるんだ?とは思いました。
そもそも国葬憲法違反であるという訴えは、最高裁においてその申し立てを却下されています。今回の仙台の反対デモ、主催者は弁護士の方らしいんですが……弁護士が法を雑に扱うんですねえ……。