前回の放送で善児が物語から退場。頼家よりも善児が話題になっている感じ、ドラマとして上手く動いていたなあと……特にここ数話の善児は色々考えされるキャラクターで、善児にフォーカスして振り返ると「義時の逆」だったのかなあなんて思います。
鎌倉幕府の内部で生き残る中、光から闇へと堕ちていく義時。
一方で闇に生きていたが、トウを育て一幡と出会う中で光を求めた善児。
実は対比になっていたんじゃねえかな、とか思ったりしている。
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闇から光に戻りたかったけどできなかった男
開幕から社会的立場は低く、ひたすら上司から汚れ仕事を命令されて実行し続けてきたのが善児。
多分ドラマ内では、途中まで本当に何も考えてない機械のような男だったと思うんですが……罪もない子供を始末したりすることを繰り返すうちに何かが芽生えていたんだと思うんですな。
現代の兵士は武器が剣や槍から銃や戦闘機に変わったことで、罪悪感が減ったという。これは直接その手に「命を奪った感触がない」からだそうですが、善児に暗殺命令を出す人間と善児本人の関係を少し考えさせられる話です。
作中では命令を出していた梶原景時や義時にとって善児は「銃」なんだけど、その銃である善児は剣や槍を持った人間なんだよね。
善児本人も理解できていなかったとは思うが、少しずつ壊れていっていたのは間違いないでしょう。本人は自分を銃だと思っているけど「人間」なので。
トウを育てるというイレギュラー
という感じで実は精神が壊れて続けていた善児、それがアクションとして可視化されたのがトウを生かした瞬間かなあと個人的には思います。
振り返ってみると、そもそも範頼を始末したあの場面でトウを生かし、そのまま自身の後継者として育てたことがイレギュラーな気もする。善児自身が「後継者育てよう」って思ったことも少し違和感で、これが上からの命令だったというシーンもないから善児本人の意志だったと思う。
それまでただひたすら「奪うこと」しかしてこなかった善児が、初めて自分の意志で何かを「残すこと」を選択した瞬間。
残そうとしたけど、残し方が分からない。自分の持つスキルは暗殺術だけ。
だから子供を育てるとして、できるのは暗殺術を教えることだけ。それは多分善児なりの愛情だったとは思うんですよ、それしか「与えるもの」も「与え方」も分からなかっただけで。
迷うことは許されない立場
「悪い顔になったが、迷いがあるからまだ救いがある」と運慶に称された義時。
一方その義時に「善児、仕事だ」と言われれば、二つ返事で「へい」と答え頼家抹殺に動かなければならない善児は、義時のように迷うこと自体が許される立場ではなかった。
一幡を消せと言われた時に、初めてできないと自分の意志を言葉に出した善児。その後一幡を見て涙を流す善児。
自分の生き方に迷っていたし、義時とは逆のベクトルで闇から光に戻りたいという意志はあったのでしょう。でも善児は、基本的にその迷いを「迷っていい」立場ではなかったわけで。そう考えると割と義時も残酷だなあとは思う。
「善児」
そもそも名前がって話なんです。「善」い「児」だから、そのまま意味を読めば「良い子」というニュアンス。
作中では、意図的に善児の仕事のターゲットとして子供が多く選ばれていたようにも思う。なんか意味深というか、色々考えるところはある。三谷幸喜は容赦がない。
ちょっと浄土真宗を思い出したんですよね、悪人正機説。あるいは荀子の提唱した性悪説とか。
おそらく武士のようにちゃんとした教育を受けられる産まれではなく、むしろそういった支配者層に言われるがままに「仕事」をこなして生きてきた男。
善児という人間が本質的にサイコパスなのではなく、その境遇や人生がそうさせた。それは一幡と出会って感情を得たことからも分かる。
後天的だったんですよ、きっと。だから境遇が変わっていれば、真っ当に人を愛することのできる人間だったと思うんですよ、善児。
やってきた行為だけを見るとスーパー悪人ですが、そこにはほとんど自分の意志はなかった男。悪人正機説に則り、善児が極楽往生できることを願います……。