心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

諸葛亮の合理性とは

最近は母ちゃんが録画している「三国志司馬懿 軍師連盟〜」という中国のドラマを観ている。
先日の放送で諸葛亮が亡くなり、まあそこまでのドラマの内容なり、今まで自分が書籍なりYouTubeなりで学んできた諸葛亮のイメージについて少し考えてみたいなと。

FGOでは「合理主義の怪物」と表現される諸葛孔明なんだけど、ちょっと違和感出てきたんですよ。
諸葛亮、そこまで合理主義かな?と。
極端な話、本当に合理主義極まっているとしたら劉備亡き後の蜀のために全てを捧げて生きたりしないと思うんだよなあ。

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蜀という国家は、魏の皇帝を否定することを根本原理として成立しているために魏を攻撃するしかない。
つまり蜀が蜀であるためには、北伐を行うしかない……というところまではある種合理的ではある。

ただし、当時の状況を俯瞰的にみた場合蜀が魏を倒せる可能性ってほとんどゼロだったと思うんですよ。というか諸葛亮ほどの人間が、それを理解できていなかったわけがないわけでして。

本当に諸葛亮が「合理主義の怪物」ならば、夷陵の戦いの後、劉備が亡くなったタイミングあたりで蜀を見限ってると思う。勝手な想像だけど、当時の諸葛亮と同じ立場に司馬懿がいたら速攻で蜀から離れてると思うんですね。

「蜀という国家を存続させるため」の北伐とか、そしてそのための蜀の運営をほぼ一人で続けていたことは合理性がなければ不可能なアクション。
ただし根本的な「劉備亡き後の蜀に仕え続けたこと」が合理的でないように見える。
個人的には、こういう合理主義と忠誠心が同時に内在している所が諸葛亮の魅力だと思っています。

冒頭に書いた司馬懿が主人公のドラマでも、作中で司馬懿は「諸葛亮の弱点は蜀(というか亡き劉備)への忠誠心」と言っていて、それが足を引っ張って北伐を継続できずに軍を退くシーンも描かれる。

人類史でもトップクラスの才覚と合理性を、合理的でない「劉備の遺志を継ぐ」という目的のためにフルに使い、しかもそれは現実的にはほぼ無理だと分かっていながら自身が亡くなるまで貫く。この自己矛盾よ。


まあそんな、最後の最後には亡き先帝・劉備への忠誠心とか義心を優先して生きた諸葛亮だからこそ人気があるんだろうなとは思います。こういう忠臣は特に日本人が好きなタイプだからね。
逆説的に司馬懿があんまり人気ないのも分かる。まあ個人的には司馬懿の方がだいぶ好きなんですけどね。最終的には長年仕えた魏に対して普通にクーデターめいたこと起こすし……まあおそらく、司馬一族の存亡の危機に瀕していたのが原因のカウンターっぽい感じはあるけど(高平陵の変)。
とはいえ真に「合理主義の怪物」を指す人物としては、諸葛亮より断然司馬懿を推しますね。