心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

【麒麟がくる】光秀=天海ルートに入りそうな伏線の整理

いよいよ最終回が目前に迫った「麒麟がくる」ですが、ここまでのドラマを振り返ると最終回で光秀が生存し、南光坊天海として生きるルートの可能性が普通にあり得る感じなんですよね。

 

南光坊天海は徳川家康徳川家光に至るまでの長期間徳川家を支えたお坊さんなんだけど、この人が実は明智光秀と同一人物とする説があるんですね。歴史好きな人なら割と有名な話だと思うけど。

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家康幼少期から交流シーンがある

ドラマ的にはこれが大きいかと。わざわざ織田家の人質であった家康と出会わせて、さらに光秀がそこで苦しんでいる家康に希望を与えている。
家康が成長し、信長に従属する様になってからも作中ではしばしば交流。その度に家康からの信頼は高まり、終盤では信長の命令で息子・信康を斬らねばならなくなった事態をなんとかして欲しいと光秀にお願いするほどになり、光秀の素晴らしい丹波統治の教えを乞い、信長に招かれた甲州征伐戦勝を祝う宴の準備を光秀に直接お願いするほど。

これだけ「家康が光秀に対して全幅の信頼を置いている」仕込みと、同時に「家康は信長に対して以前警戒心を解いていない」仕込みが揃った状態で最終回突入。
ある種家康もまた信長が倒れることを望んでいる側の人物であり、その後光秀を守り、匿う流れは自然かなあと思わなくもない。

天海僧正が歴史に登場するのが本能寺の変のあと

Wikipediaによると「天海としての足跡が明瞭になるのは、無量寿寺北院に来てからである」。

天海 - Wikipedia

この無量寿寺北院に来たとされる年が、同じくWikipediaからですが1588年のこと。
逆に言うと徳川家康という人物の生涯の中でこの時代って既に後半突入という感じで、このタイミングで登場した新しい人物がここからやたら重用されるのもなんだか不思議な感じがある。一説には天海は江戸幕府が開かれる際、江戸を本拠にすることを助言した上江戸の町づくり自体にもアドバイスをしたという。これほどの人物が本能寺の変から6年後に出現する……史実上の信憑性は低い同一人物説だけど、ドラマ的には面白い説なのは確かです。

作中の明智光秀の心境

信長はもはやおかしくなってしまったので天下泰平のために討たなければならない。
しかしそれを実行した主君殺しである自分には天下を治める資格はない……とか考えたとしたら?そもそも今年の大河は終始「麒麟を呼ぶことのできる人物を探す」物語であって「自分が麒麟を呼ぶ」物語ではなかったと思う。奥さんが亡くなる寸前に「あなたが麒麟を呼ぶ人ならよかったのに」みたいなことを言ってたけど、それでもなお信長の天下統一のために動いていた。

さあ信長を討ちました。その後戦うことになった羽柴秀吉は光秀的にはとても麒麟を呼ぶことのできるような人物には見えない……となると、山崎の戦いで敗れた後生き延びていて、相変わらず秀吉による天下統一が進む中でこれではいけない、と思ったとしたら?
本能寺の変以後でドラマ内に光秀が麒麟呼べそうと思える人物、やっぱり徳川家康しかいないんだよね。
そして歴史として実際に最終的に麒麟を呼ぶのは徳川家康である。その背後に南光坊天海と名前を変えた明智光秀がいた……とすれば、これまたドラマ的にはハッピーエンドだし流れとしても不自然ではないかと。

天海のものとされる兜の前立が麒麟

これはTwitterで呟いている人がいたので調べて衝撃を受けたんだけど、関ヶ原の戦いにも参陣したとされる天海所用とされる兜はその名も「麒麟前立付兜」。その通り麒麟があしらわれてるんですよね。

ドラマのタイトルが「麒麟がくる」で、天海が使ったとされる兜に麒麟の装飾が付いていて、明智光秀=天海説が存在する。
これもう天海のことありきでタイトルが「麒麟がくる」になってんじゃないかと思っちゃったりするんですけど……。


他にも天海は家康のもとで朝廷との交渉役も務めており、作中の光秀が近衛前久や三条西実澄、それどころか正親町天皇と交流を持ちしかも信任を得ている状態が既に伏線めいていたりして、まあそういうつもりで振り返ると天海として生き延びない方が不自然なくらい要素は散りばめられている気がする。


さて、最終回で光秀はどうなるんでしょうかね。
秀吉との戦いに敗れたあと敗走中に竹槍で貫かれる光秀。瀕死の傷を負ったところで菊丸が家康の命で現れ……みたいな展開は普通にあり得るかなあと思ったりしてね。