心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

枝野さん自助・共助・公助のフローを理解してなくね

官房長官の発言に対して、立憲民主党の枝野代表が「政治家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ」と批判したとかなんとか。

まずこの場合の「批判」は間違っていることを追及する感じの意味だと思うんだけど、菅さんの発言は間違っているとは思えないし、さらに言えば枝野さんの考え方と矛盾も起きてない。ということで批判になってないと思います。
さも政府が公助をしないような印象を出すのやめような。

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まず自分でできることはやる「自助」。
それだけでは難しい時に「共助」。
それでもダメな時に「公助」。
受け皿が段階的にあって、逆説的だが最終的に公助があるからこそ安心して自助から行えるわけですから。
「公助」あっての「共助」「自助」だから、個人的な感覚でしかないけどむしろ「公助をちゃんと用意していきますよ」という宣言として受け取ったんだけどね。最後には公助があるからこそ、自分の力・周囲と協力する力で挑んでみるってことができる。
極端な例になるが、例えば災害にあった時に自助も共助もせず公助を突っ立ったまま待つ人なんていないですから。


初めからいきなり全部公助になると、それもう共産主義に考え方が近いと思う。立憲民主党としてどうなんですかね。「民主」って党名に付いてるけど。

「政治の役割は公助だ」なんて枝野さんは言ってたようだけど、そんなことは当たり前のように分かっていて、その上での菅さんの発言だと思う。


……ところでちょっと衝撃受けたんですけど、民主党政権下の2012年のこと。
当時枝野さんも閣僚として政府に入っていたんですが、この時の民主党が出した社会保障制度改革推進法の中に

自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと

という文言があります。
もう政権批判が優先されすぎて過去の自分達がやってたことを完全に忘れてるんだね。生産的な政治する気がないってことですよこれは。