心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

必要なのは自己肯定感ではなく自己同一性――「アイデンティティ」

「自己肯定感」についてのエントリが流行しているようだ。おかげで色々と興味深く読ませてもらっている。


……のだれど、どの記事を読んでもなんか違和感。違和感の連鎖。


「自己肯定感」の話なのに、「周囲の人から認められることで自己肯定感を得られる」ということが前提で話が進む記事がほとんど。

それはもちろん否定はしない。人から評価されれば「ああ、私は出来る人間なんだ」っていう分かりやすい自己肯定の指標になるのは間違いないから。


だけど“自己”肯定の話をしているわけです。


自己肯定感
他者による肯定ではなくて、自分で自分を肯定する感覚の話。
なぜに話の主体が周囲による評価になってしまうのかが、よく分からない。


うーん、自分の考え方は少数派なんでしょうか。
とりあえず「肯定」という二文字がゲシュタルト崩壊し始めた。


疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

疲れていたわけではなく風邪で寝込んでいた時、この本を読んでいた。

「個性ということ」という表題で、興味深いことが書かれていた。

「個性的である」というのは、ある意味で、とてもきついことです。誰からも承認されないし、誰からも尊敬されないし、誰からも愛されない。そのことを覚悟した人間だけが「個性的であること」に賭金を置けるのですから。

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

つまり他者からの評価によって自己肯定感を得ている限り、個性なんてものは手に入らないってことになる。
では、個性的な人間はどうやって自己肯定してるのか?


自己肯定ではなく、自己同一性・・・「アイデンティティ」であろう。

自己同一性 - Wikipedia
ちょっとこちらを見ていただくと話が早いかもしれない。

私なりに分かりやすく解釈すれば「自分で自分の存在理由や意味を理解している状態」がアイデンティティの確立された状態だ。
この「自分で自分の」という部分が非常に重要で、結果としてセルフ自己肯定が強固なものになる。


アイデンティティ

アイデンティティ

この「アイデンティティ」という考え方を説いたエリクソンは、発達心理学の分野にてこの言葉を用いた。

アイデンティティの構築、確立は、青年期の発達課題のひとつだ」といった具合だ。



私の考えとしてはこのアイデンティティがしっかりしているならば、自己肯定感で悩むことなどない。自分自身が常に強力な自己肯定を継続しているからだ。
だから先に挙げた個性の強い人間は周囲から何を言われても関係なしに己の道を突き進む。他者の評価によって自己肯定を行おうとする人間にはとても耐えられないでしょう。


結局のところ、この「アイデンティティの構築」が完成しないまま青年になってしまう人が増えてきてるんですかね現代、みたいな。


「自己肯定感」が欲しいなら「他者からの肯定」にすがるべからず - 「げ」の一歩 改
この記事でも書いたけど、じゃあ「アイデンティティがないから人間関係の中で自己肯定感を得よう」というのはやっぱり甘くて、一時しのぎとしてそれは機能するけど根本的には「アイデンティティを確立する」ことでしか解決しえない問題だと思う。

今いる集団が解散したらあなたの自己肯定感は一気に消失する可能性があるっていうことを忘れちゃいけない。
学生なら卒業後、新しい集団の中で新しい自己肯定のための土壌を模索しなければいけない。
企業に勤めている人だってこのご時世だ、リストラや突如会社が倒産なんて可能性もゼロじゃない。
凄く親しい友人がいる、大切な家族がいる。そんな人でも、必ず人は死ぬということを忘れてはいないか。

自分が死ぬまで自分とそばにいてくれるのは、自分だけなのだ。その自分が自分を肯定できないでどうする?



・・・そんなこと言ったって自分には何もないんだもん、なんていう人はたくさん居そうだが。
そういう人は本当にアイデンティティを見つけることと向き合うことをしたことあるんですか?と問いたい。

親が進学しろというから進学し、なんとなく就職が決まったから働いて、それで「仕事がつまらない」とかなんとか。
当たり前だ。自分と向き合って決めた生き方ではないのだから。




お金や安定と、自分の精神的充足と、自分にとって本当に大事なものはどちらかを考え直してもいいんじゃないですかね。

ちなみに私は学生のころは完全にアイデンティティなどペラペラの人間だったのだが、本を読んだり一人で旅に出たりするうちに確立されていった面が極めて大きい。そして精神的充足を第一に生きることを選択し、金銭的社会的には結構低めの生活を送りながら、こんな記事を書いている。


一人で隣の県に一泊二日で旅行する(もちろん行ったことのない場所、そしてスケジュールなどは立てない)。
そんなことでも、一度もしたことがない人間には己の無力さ、無知、世界の狭さなどをまざまざと見せつけられるもの。
否応なしに「自分自身」と向き合い、アイデンティティを見出す切っ掛けになる。


そんな時間がないなら、本だ。マンガでもいいし、アニメや映画でも構わない。その代わりに全力で読むこと、観ることだ。
自分の生き方、考え方の土台が広がるうちに、「自分に迎合する生き方」、アイデンティティがゆっくりと具現化してくると思う。




そうしたらもう周囲など関係ない。・・・関係ないは言い過ぎた。でも、ちゃんとしたアイデンティティがあるなら周囲とは自然に程よい距離感で交流できるようになって、ずいぶんと楽になるのは間違いない。



自己肯定感が欲しいなら「自己同一性」を強くしろ。
自己同一性・・・「アイデンティティ」が強まれば、自己肯定感は勝手についてくる。


自分らしく媚びずに生きる 俺の自己啓発!

自分らしく媚びずに生きる 俺の自己啓発!

ちょっとこれ読みたいな。照英さん・・。