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最近こういった本を読んで、坐禅や瞑想をとっかかりにしながら仏教について学んでいるんですけど、これ知れば知るほどに
ブログと仏教って正反対のベクトルだなー
と思うんですね。
まさかここでもうひとつ悩みが増えるとは思わなかったんですが、この「ブログ」と「仏教」っていうのはいまのわたしを支えてくれている結構大きな車輪でありまして、その二つがまるで噛み合わないシステムでそれぞれ構築されている。
この状況、ヤバくね?
と思いつつも、これをなんやかんやしてどうにかリンクできるようになってくれば、かなり面白いことになるんじゃないのかなーとも思っているんですよ。
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自我を表現するブログ、自我を否定する仏教
すごく簡単にまとめてしまうので少し語弊はあるかもしれませんけど、わたしの中でぶつかっている部分はここになります。
ブログって端的に言うと「自分自身を発信するツール」だと思っていて、「自分が」見たもの、食べたもの、考えたこと、それらを「自分」ならではの視点でアウトプットすることで、文章や写真などに個性みたいなものが滲み出てきて味になる、みたいな。
つまり仏教でいうところの「自我」の存在が前提になっていると考えています。いわゆるアイデンティティとか、自分らしさとか、そういうのがまずありきなイメージです。
これって完全に仏教と反発するところで、仏教では「自分なんて探したってそもそもどこにもないよ」という「無我」の考え方をとります。
つまりブログにおけるエネルギーとなる自我はバッチリ否定しているわけです。これは困ったね。
ただ先のアイデンティティ、自分らしさの前に「いわゆる」という言葉をつけたのは、「無我」という考え方の中にもちゃんと個性、アイデンティティ、自分らしさというものはあるので、その形でのアイデンティティを身につけていかねば。
たとえていえば、自我とはどっしりと重くて動かない硬い石か岩のようなもの。他方、自我がない生き方は、空気のようなもの。空気になったら、自由自在です。
「自分」だって容易に、常に変化する。
というよりも、変化できるような自分になる。それが今のわたしなりの「無我」の解釈です。
変化を恐れないこと。
だから、ブログを書いていても以前書いたものとは逆の意見を書くこともあるかもしれません。でもそれが無我的ブログ。
「自我」によって世界を切り取るのではなく、「無我」によって無常なる世界を、自分自身を含むその変化を感じ取ってお送りできるブログを目指していきたいものです。
そうなると将来的な「旅するブログ」になった時もかなり面白くできるのではないか、と思います。
「無我ブログ」ももうひとつの目標です。