今日も今日とて例の同僚のお話を少々書いてみる。
もはや自分の中では「こうなってはいけない人間」のサンプルというか、反面教師として捉えていますが。
ただしこんな風にネガティヴな印象として気になるということは、得てして自分自身にもそういう部分がある鏡のようなものであるもの。
自分の中にある嫌いな部分がそうやって可視化されるから気分が悪い的なやつ。
そういう観点で考えると、少し思い至ったことがあるんですな。
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小学生の頃の自分と似ている
内向的だった小学生低学年の頃の自分に重なるんですよ。3〜6年生の時に担任だった先生が素晴らしい先生だったおかげで、その間に大幅に自分の人間力は成長を見せたわけですが……その出会う前の自分に。
・やりたくないこと・従いたくないことがある。
・でも内気だからそれを言葉にして主張することができない。
・だから勝手にバレないように誤魔化しながら、その対象から逃げようとする。
・でも所詮子供レベルの誤魔化しなのですぐバレる。
こういうことをしていた気がするんですね。表目上は大人しくしてるから、基本的に周囲からはお利口さんだと思われていた。思い返せば実際には口答えしないだけで、だいぶワガママだったんですよ。おまけに周囲からはお利口さん扱いされてるから、変にプライドも高いんだよな。
当然そこから人間は成長する。成長するというか、まあ進学するにつれて徐々に関わる社会が広がると「逃げてはいけないこと」と向き合うことになるわけでして。それまで親や周囲がなんとかしてくれていたという事実に気が付いていくんだな。
苦手だし絶望的にやりたくなかった数学でも、赤点取ったらやべえからなんとか40点は取れるように勉強するわけですよ(それでも数回取れなくて、再テスト受けた記憶ありますが)。自分がテストで点数を取れないというのは、親にどうにかできることじゃないですからね。
そうやって色々経験して、今社会に出て働いている……と。
というところまでの自分語りを踏まえて。例の同僚、そういう自分でいう「小学生以後の社会的学び」みたいなものが欠落してません?という話。タイトルの通りなんだけど。
基本的にはすげー静かな人で目立たない人なんだけど
、しれっとやりたくない仕事を避けているという状態。これがまんま、内向的な頃のガキの自分のやっていたことなんだよな。これが子供のやることならいいんだけど、金銭を対価として貰っている仕事でやってしまっているのが割とどうしようもないといいますか。
代わりに自分のやらなかった仕事をやってくれる同僚がいる……というか自分以外の他の同僚全員がそれをやっていて、自分はやってないけど同じ給料を貰っていることに対して何も感じてないとか。まあこういうことを思えるならそもそも仕事サボらんし。
そういう自己中心性、多分正確にはそういう他者視点で物事を考えられない幼さ。自己中な人間なのではなく、大人になるにつれて獲得するはずの視点の拡張ができていないって感じがする。
「自己中心的な人物」なのではなく「自己中心的なレベルから成長できなかった」って印象なんだよね。
仕事に対する向き合い方に怒りというよりも、こんな精神性のまま大人になってしまった人物への可哀想という気持ちの方が強まっているのはそういう理由。そもそも単純に行動において、理性より感情が優先されて選択が行われている時点で子供も子供なので。
……今までどうやって生きてきたんですかね?全部周囲の人間がなんとかしてきてくれたの?