心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

写真・動画撮影機能と承認欲求

昨日新橋のビルで爆発が発生、その様子を撮影した写真や動画がTwitterには溢れかえっていたわけですが……。

これさあ、シンプルに危険では?ガス爆発だと思われるので、ここから再度爆発するような可能性も当然ありました。
スマホの普及によっていつでも写真・動画で記録できるようになったのは確かに便利ですが、それを撮影してTwitterにアップして承認欲求を満たすよりも生命のリスクヘッジをしっかりする方がよくないですか?
今回の場合なら、とにかく距離を取るのが最善のリスクヘッジだと考えられる。

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昨年かな?それとも一昨年だったか。
「歩道橋から首を吊っている人がいる」という事件がありました。
何が怖いって、それを周囲の人がスマホ向けて撮影したらしいんですね。
当時も当ブログで書いた気がするんだけど、ここまでくるともはや狂気に近い。知らない人の遺体を見て、カメラを取り出すことの異常性に気が付けない人がそれくらい多いってことですよね。


あれかもなあ。
誰しもが多かれ少なかれ承認欲求というやつを持っていますが、少し前まではプロスポーツ選手や芸能人みたいな本当に一部の人しかそれを満たすことができない世界だったし、そちら側ではないほとんどの人はそれを仕方がないこととして納得できていたのかもしれない。

そこにTwitterInstagramといったSNSの普及、YouTuberの台頭などが合わさった時に、一般人でも多くの人から注目される土壌が出来上がったと。ある意味では、誰にでも「注目される」立場になれるゲートが開かれた。
それでも根本的には本人の才覚がないとやっぱり無理なんだけど、そこで諦めきれない若い一般人たちはあの手この手でなんとか目立とうとする。
その一つのツールとして、スマホの写真・動画撮影機能が使われてしまっている気がします。

今回の爆発事故を例に取ると「自分自身には別に注目されるような能力や才能もないけど注目されたい」という人にとってはめちゃ美味しい素材。
偶然居合わせた事故現場を撮影してSNSにアップロードするだけで、多くの人が自分の投稿を見てくれる。そうやって閲覧者数が増えるのを見たとき、承認欲求と接続されて一時的に満たされるんでしょうね。

ちょっと話が逸れますが、自分の見立てでは迷惑系YouTuberも同じ括り。自分自身に能力がないので「他者に迷惑をかけることで」注目されて承認欲求を満たしている構造。

ただし上の二つ、どちらの自分の力ではないのですよ。今回の事故で言えば注目されているのは撮影者ではなく、起きた爆発事故の方。
めちゃくちゃ虚しいぞ、これ。撮影者の承認欲求が満たされていると思ったら、実は撮影者には誰も興味がなくてただ事故の情報が知りたいだけですから、ほとんどの閲覧者は。

自身の生命の安全性よりも撮影が優先されていたりして、スマホとその写真・動画撮影機能は人間の根本的な何かを破壊してしまっているのかなあと思う。まあ今回の場合、正常性バイアスも絡んでいるとは思いますけど。
まあいつでも撮影できるってのはメリットも大きいんですけどね。自分が小さい時の写真なんてあんまり残っていないわけですが、今では姪っ子の超絶可愛い写真がスマホにちょくちょく送られてくるわけだし。
この辺を考えると、やはり道具そのものには罪はなくて使い手次第という気はします。