心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

まず土井善晴先生の料理観を踏まえようよ

Twitter料理研究家土井善晴さんのアカウントをフォローしているんだけど、どうも最近ちょっと妙な絡まれ方をしていて「大変そうやなあ……」と思って見ています。

自分は「一汁一菜という提案」「一汁一菜でよいと至るまで」の2冊は読んでいるので、土井善晴という人物の持つ基本的な料理観やバックボーンはなんとなく踏まえているつもり。
その視点からTwitterでのやり取りを見ていると、そもそも突っかかっている側が絶対に相容れない料理観を持って突っかかっているので、どうやっても平行線で終わりがないんだよな。
どちらが正しいかではなくて、料理に対しての向き合い方の土壌が完全に異なるので話が合わない感じ。

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前提

炊いたご飯が傷まないようにする炊き方をTwitter上で書いた土井善晴先生。
「前日から炊飯器に入れておいて、自動で朝炊きするとダメになるよ」「朝イチに綺麗な水ですぐに炊くと傷まないよ」と書いていました。
それに対して「なんでそれで違うんですかね?」から「その2つの雑菌の検査結果が見当たらない」「先生は炊き比べて検査したと思ったけど違うのか」「バチルス菌が〜……」などとずっとリプライ飛ばしている人がいて、まあこれはこれで正しい疑問の持ち方ではあるけど……なんというか、根本的に土井先生と見ている世界が違うとしか思えなくて。

前提として、そういう科学的理論やデータをベースにして料理してないでしょ土井善晴
そういう観点を軽視しているわけではないだろうけど、ベースになるのは感覚。数値化できない経験則とかおばあちゃんの知恵的な何かとか、そういうの。
実際に「きょうの料理」の土井善晴回を1度観てみるとよいと思います。「このくらい」とか「こんな感じ」という量で塩や油を使います。その感覚を身に付ける学びも込みなのが土井善晴回。逆にいうと明確な数値やデータがほとんど出てこないから、今回のご飯の炊き方に突っかかっていた人が土井善晴の「きょうの料理」観たら軽くキレるんじゃないかな?とか思う。

「経験で身につけたことが、結果的に科学的にも理に適っている」というのが土井善晴の料理だと思うんですよね。順序が違っているので、今回のようにTwitterで絡んでいる人とはスタートが違う。
というか、勝手な想像に過ぎないんですが……ほとんど普段は料理しないんじゃないかな?こうやって突っかかってる人。
日々の料理で、家の母ちゃんが毎度律儀に調味料の量を計りますかっていう話。ご飯の炊き方だって「雑菌の繁殖がデータとして……」とか考えてないでしょ。実体験として「その方が上手くいく」という感覚の積み重ねで日々のご飯を作っているのが、世の中の母ちゃんだと思いますけどね。
そして何より、土井善晴が紹介しているのは基本的にそういう「普段食べる普通の美味しい料理」であって、ガチガチに格式張ったような料理でもないわけです。

科学と感覚

ここからは料理における科学と感覚についての私見
料理は科学です。これは間違いないのだけれど、じゃあ科学として実際の料理をしているかと言えばそうではない。

実際に自分がやっている料理を例に出してみます。パスタですね。パスタソースを作る際、乳化をさせる時のお話。
水と油は1:1で乳化します。これは科学的なデータとしてそうなので、これは「科学」……というか、これは水と油の構造の話だから「化学」でしょうか。

では実際にパスタソースを作る際、そんなことを考えているかというとそんなことはないわけです。
「オリーブオイル50mlだったから、茹で汁も50ml計って入れなきゃ!」とかはしない。お玉で適当に2杯くらい入れてみて、様子を見たりする。そもそも何も計りません。オリーブオイル2回しくらいとかそういう感じ。ニンニク1かけだって、その時使うニンニクごとに大きさ違いますし。
んで「今回ちょっと水分多過ぎたわ……」とか「茹で汁に塩入れ過ぎたから仕上がりしょっぱいな」とか反省して、次回に活かす。
日常的に作る実際の料理ってこういうものだと思うんですが、どうでしょうか。そういう感覚・経験値が積み重なっていって、それが科学的にも理に適っている……という状態に近付いていくものだと自分は思います。

五感を使うから料理は楽しいのよ

で、個人的に考える料理の面白さ。
実際にやっていると、かなり頭も使うし動物的な感覚も使うんですよね。
自分の場合はYouTubeなんかでよく料理の作り方を観たりしますが、そうやってまずは「データとして」頭に資料が入る。
その上でそれを実際に作ってみる際には、五感を活用しての感覚的なニュアンスが上位にくるわけでして。

ステーキ肉を1枚焼くにしても「まずは冷蔵庫から出して常温に戻しておこう」となれば常温になったかの確認で指先で触ったりする。
塩胡椒の具合も目分量。
焼いている時は焼き目を見て、音を聞き、匂いで焼け具合をリアルタイムで見極めることになる。
その上で「ちょっと中まで火が通る前に焦げそうだから、弱火にして少しフタするか」みたいな頭も働かせる。

これが醍醐味。実はかなりいろんな能力をフル回転させるから、料理って大変なんですよね。
そしてこれは一朝一夕では身につかないから、何度も失敗しながら経験値を積み、感覚を養っていくわけですよ。その過程の学びがまた楽しいわけでね。
……きっと土井善晴先生も似たようなスタンスのはず。

一方で、だからこそ料理は難しい部分もあるし、多分日常的に自炊するなり、仕事として日々調理業務を行う人でもない場合は相当センスが問われるとも思います。経験値がないわけだからね。
今回取り上げた、Twitter上で意見を出していたタイプの人にも向いた料理の本はあります。「理系の料理」なんかはまさにそうなんじゃないかな。

なんだか話が結構とっ散らかってしまいましたが、まず絶対的に考え方が異なる場合、話し合いにはなりません。
個人的には、だからこそ「納得はできないが理解はする」というような度量や精神は必要だと思うし、そもそも「合わないものは合わない」的な諦念と自己理解も必要かと。
教えを乞うにしても「自分に合った師を選ぶ」という能力がないと、お互いのためにならないというかね。

土井善晴式の料理観、当然ながら合わない人はそれなりにいると思います。特に料理経験が少ない人の場合、そもそも理解が追いつかない可能性がある。そういう意味では実は初心者向けではないのかもしれない。
なぜなら数値化できないような感覚的な部分が、多分に含まれるからですね。もちろんそれを土井善晴先生自身が理解しているので「それぞれの人の“良い加減”というのがある」ということは伝えています。味の濃さだってそれぞれ好みがあるんだから、「塩ひとつまみ」の量には、それぞれの人にとっての正解があると。
これって、自分でやってみることを繰り返すことでしか見つけられないやつですからね。

正直、料理すること自体が結構好きって人でもなければ話は合わなさそうというか理解できなさそうなんですよ。自分は料理が好きなので、土井善晴先生の考え方とかすごく好きなんですけど。
むしろ逆に別段料理に興味がないような人は、正確な量が明記されたレシピ買ってきてその通り作った方がいいんじゃないですかね、という感じです。こういう観点を見落としていると、今回のTwitterみたいなことが起きちゃう気はするんですね。