心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

宮城県美術館にフェルメールを見に行く

土曜日はしれっと宮城県美術館に行ってきました。目的はこれ。

フェルメールと17世紀オランダ絵画展」ですね。
絵画の技法や歴史、知識などはほぼ皆無なんだけど芸術自体は好き。そういう理論じゃなくて、なんとなく感じるものでもやっぱ楽しいし、心に残るものもあるわけです。
そして矛盾するようですが、展示と一緒に見ることができる解説パネルから知識を得ることができるのも地味にデカい。そうやって現場で得た学びを踏まえて同じ絵を見返すと、違って見えたりもするもので。

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今回の展示のメインはもちろんフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」。
なかなか歴史とドラマのある作品で、発見から随分長い間、フェルメールではなくレンブラントの作品だと思われていたらしいです。Wikipediaによるとその後ピエール・デ・ホーホの作品であるともう一度間違った鑑定をされたあと、ようやく正しくフェルメール作だと認められたとか。フェルメールの作品自体が現存するものが少ないのも影響あるのでしょうかね。

「窓辺で手紙を読む女」内の壁にかけられた、大きなキューピッドの絵画。こういった「絵画の中に絵画を描く」という構図はフェルメールに比較的多く、そこにはメッセージがあるとかないとか。
手紙を持つ女性と、キューピッド。愛する人からの手紙を読む様子……のような物語性を感じる構図なんだけど、なんとこのキューピッドの絵画の部分が上から塗り潰されていたんですね。1979年のX線調査によって判明されたそれが2021年にようやく修復完了し、こうやって完全版としてついに公開ということです。

修復前の状態の複製も一緒に展示されているんだけど、当たり前ながら何もない壁と大きなキューピッドの絵画がかけられた壁では印象がまるで異なる。フェルメールが込めたメッセージがキューピッドごと封印され続けていたと思うと、絵画としてのビジュアル以上に数奇な運命に想いを馳せたりしてしまいますね。そもそもフェルメールの作品ではないと長いこと思われていたりしたことも含め。


フェルメール以外も含めた全体の印象として「なんか色味が全体的に暗いな……」というのがあります。これが客観的な事実なのかはともかく、鑑賞していた自分の主観的感想ではそう思った。
人物画にしろ風景画にしろ、なんだか色が少しダーク。これは当時の絵の具がそういう物だったのか、それとも当時のオランダの風景がそういう物だったのか。それとも今が電気の時代で、その明度に慣れた現代人には17世紀の絵画の色味が暗く見えるだけなのか。
この辺りは美術史のお話になるんでしょうか。