心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

トリエンナーレ再開

もはやツッコミどころが多すぎて処理が追いついていかない。

・中止前から改善されてない内容
・展示物の本来の意図が伝わらない状況下での展示
・観覧における厳しすぎるルール
・大村知事はじめ運営側の動き

などなど。複合的にマズい面しかないと思うよ。
今まで中止に対して抗議してきた政治家とかタレントさんとかアーティスト、どんな気持ちなんだろうな。本当に思っていた形の再開なの?

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追加された作品について

再開されたあいちトリエンナーレの一番デカい争点は「被爆最高!」「放射能最高!」「相馬市最悪!」などという発言が入った動画ですね。
これだけだと単純にどうしようもないので、この動画自体の経緯を調べてみると……現地で被災した若者等自らが想いを叫ぶ「気合百連発」なる作品だそうです。
「震災に負けないぞ!」などのポジティヴな叫びの流れで、勢い的にこれらの言葉が出てきたってのが全体としての流れらしい。あと「被爆最高!」などのあとには「最高なわけないだろ!」とかの音声も入ってるみたい。
ただ、そんな本来単体ならば複雑な意味合いを持つはずのものが「あいちトリエンナーレ」という場所で展示されたことで意味合いが変わってしまったと思う。これ、運営サイドがこの作品を悪用してますよね?
慰安婦像や昭和天皇の写真を焼くものと一緒にこの作品が展示された時、この作品はどういう意味を与えられたか。見た人間がどう感じたかではなく「運営サイドがどういうつもりで展示に加えたか」に問題あると思うぞ。

……ちなみに作品自体も「アーティスト側が放射能関係の発言に誘導してないか?」という疑惑があるらしい。この辺は主観が多分に入るんでなんとも言えませんがね。

鑑賞に関する厳しすぎるルール

・抽選方式で選ばれた30人1組の鑑賞。
・鑑賞前に教育プログラムを受ける。
・鑑賞にはガイドが付く。
・貴重品以外の荷物預かり。
・金属探知機によるチェック。
・動画撮影禁止、SNSによる拡散の防止。

……自由って何ですか?
まあテロ対策とかって観点なのは分かるんだが、言ってみりゃ鑑賞前に講習を受けて鑑賞中もガイド同伴。これはさあ、鑑賞者の見方を制限しているとも解釈できるわけですよ。
美術館などに行くと音声ガイドとかあるけれど、アレって欲しい人が自分で選べるわけですよ。僕の場合は知識じゃなくて感性で見たいからああいうの使わないんだけど、事前講習まで完備された今回のトリエンナーレさんではもう回避不能

見た人がそれぞれ考えたり感じたりするのがアートだと思ってたんだけど、ここまで縛られた状態で見るものに表現の自由とは。

運営側の矛盾

河村市長が座り込み抗議していて、この行動に対して大村知事が抗議しているんだけど……河村市長の座り込みだって、あなた方の言ってた表現の自由なんじゃないのか?ずっと思ってたんですけどね、トリエンナーレ運営サイドは表現の自由を盾にして自分らを正当化するくせに、反対する側の表現は否定するんだよな。腹立つわ。
芸術監督の津田さんのTwitterに批判的なコメントを書き込むとブロックされたりもするという。展示内容も態度も、見たくないものは見ずに自分たち側の出したいものを一方的に出すだけのことを「表現の自由」と呼ぶ。批判も表現の一部、作品として受け入れることができないのに自由とか言うなって。
いっそそんな河村市長の抗議も作品の一部として受け入れる度量とかあればねえ……。


とりあえず結局はこうして再開できたわけで、どうですか?補助金出さないと言われたときに検閲検閲言ってた人は「検閲されなかった」とでも思ってるんでしょうか。そもそも検閲でもなんでもなかったんですけど。

これでも擁護してる人は少なからずいるんだけど、じゃあ単純に「天皇の写真を焼く動画」はどういう意味を持ったアートなのか説明できるものならしてみろって思うんですよね。できないからこうなってる部分はあると思う。
表現の自由」を盾にするのなら、芸術であることを証明してみろと思います。


というかちゃんとした表現者の皆さんが一番怒りを感じるはずなんだけどなあ、本来。本当に芸術を貶めてるの、どっちですかね?
多分運営側の真の目的は「公的資金で政治的プロパガンダを行ったという事実の構築」だと思うよ。だから異様に補助金に執着する。

自由には責任やモラルも伴うってことが分かってない人たちが自由を叫んでもねえ……。