心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

大村知事さあ……

トリカエナハーレがヘイトならトリエンナーレもヘイトだし、トリエンナーレ表現の自由ならトリカエナハーレも表現の自由なのでは?トリエンナーレ表現の自由として開催した人間が、トリカエナハーレの方を否定することはできないはずだと先日書きましたが……。

何が「明確にヘイト」だよ。だったら昭和天皇の写真燃やすのも「明確にヘイト」だろうが。

スポンサーリンク


流石にこれは感情的になって結構今ブチキレてるんだけど。キレてるからかさっきモンハンやったら、リオレイア希少種のサマーソルトを結構喰らってしまいました。

トリエンナーレはヘイトではなく表現の自由であり、補助金を止めようとしたら検閲だと騒ぐ。
トリカエナハーレは表現の自由ではなく明確なヘイトと断じ、自費で開催した企画に法的措置を持ち出す。
自己矛盾に陥ってることに気が付いてないのかこいつ。

ちょうどいいからダブルスタンダードについて載せときますわ。

二重規範(にじゅうきはん)とは、類似した状況に対してそれぞれ異なる指針が不公平に適用されること。ダブルスタンダード(英語: Double standard)とも。
二重規範 - Wikipedia

今回の一件に対する大村知事の対応、完璧にダブルスタンダードです。教科書に載せたいくらい綺麗な事例だと思う。
トリエンナーレについて「自分の気に入らない表現があっても、表現は表現として受け入れるのが日本国憲法の原則」と言った人間が、トリカエナハーレにはヘイトとして法的措置を講じようとしているっていうね……。

そもそも今回のトリカエナハーレ、公的資金まで注ぎ込んで展示内容もおかしな状態のまま押し通した「あいちトリエンナーレ」に対してのカウンターアタックであり、つまりはトリエンナーレの内容や経緯・問題点が呼び水となって開催されたわけです。
アレを認めた以上トリカエナハーレも認めないと筋が通らないと思うんですが。良いか悪いか以前の整合性としての話。
「どっちもどっち」なんだけど、だからこそトリエンナーレのみを正当化するのはおかしいんだよな。本来どっちもダメなんだが、大村知事の言い分に沿うとどっちもOKになってないといけないはずなんですが。


とりあえず大村知事だけじゃなくて、トリエンナーレ擁護していてトリカエナハーレ批判している人がTwitter等で論理的に説明できてるのを見た試しがないんですよ。
「じゃあ天皇の写真焼いてるのはヘイトじゃないんですか?」に対して「違います。」だけ書くとかね。「違います。」じゃなくて、どう違うのか説明してください。現在の天皇の祖父の写真を燃やすのがどのような意味を持ったアートなのか説明してくださいと。「違います。」で終わってんじゃねえよ。そもそも天皇関係なく、今を生きている人の祖父の写真焼いて芸術もクソもない。
あとは「ヘイトの意味が分かってない奴らが騒いでますね……」とか言って、自分たちのいう「ヘイトの意味」は提示しないとか。こういうことされると、そもそも話ができないんですけど。

別に反対意見を反射的に否定するつもりはなくて、とりあえず自分はトリエンナーレとトリカエナハーレに対して今回書いたような考えを持っている。
んで反対の考え方を持っている人がちゃんと反対理由を提示してくれて、はじめて討論になると思うんですよ。


「あいちトリエンナーレ表現の自由として認めたのだから、あいちトリカエナハーレも表現の自由として認めないと整合性が取れない」というのが自分の考えなんですが、反対の人は「あいちトリエンナーレ表現の自由だがあいちトリカエナハーレはヘイトである」の説明して欲しいんだよな。自分の思想が偏っていて見えなくなっている可能性もあるので、普通にトリエンナーレのみが表現の自由だと定義される理由があるなら教えてほしいんですけど。法律の話?

とはいえこういう説明をせずに先日書いた詭弁・誤謬のバリエーションでうやむやにする人が多いから信用できなくなるんですよ。


ふー……勢いに任せて書いてたら多少精神は落ち着いてきました。ガッと書いたから勢いでこのまま投稿しちゃおう。
感情で書き殴ったから見苦しい内容になってしまったかもしれませんが、申し訳ございません。