心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

運転士・車掌の名称はどうでもいいんだが

個人的に懸念しているのは、これと同時に「登用試験もなくなる」ってところ。
運転士に関しては直接乗客全員の命預かってますし、大丈夫か?

試験に合格すると運転士や車掌になれるのを廃止し、普通の人事異動で普通にそれらに配置換えされるらしい。
……怖いんだけど、地味に。

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自動車どころじゃないし、タクシーどころでもないと思うんですよ責任が。単純に人数だけ考えてもね。
さらに日本の場合電車の遅れとかやたらシビアな社会だから、そういう時間遅れ的な責任もある。


なんつーかね、普通の人事異動で「はい、今期からあなた運転士ね。明日から研修と運転の教習です」って言われて「さあやるぞ」と思う人がどの程度いるのかって。
運転士やりたくて入社した人間が全てじゃないだろう。駅員とか淡々とした事務とかしたくて入った人も多いんじゃないかなあと思うんだよな、公務員的な考え方で。


ここまで考えてみると、周囲からのどうのこうのというよりもその仕事をしている人自身に対する意識のために「運転士」「車掌」という役職名は必要なのではないか?と思う。
「乗務係」と「運転士」では、自分がやっている仕事に対するプロ意識に多少は違いが出てくると思うんですよね。自分の仕事に対する自覚とかも目覚めると思う。

記事のタイトルでどうでもいいと書いたけど、それによって「特別な仕事なんだ」みたいな覚悟・意識が生まれるのなら、人命のことまで考えた時に「運転士」って名称には意味がある気がする。