内田樹「街場の現代思想」を読み終えた。
「結婚とは何か」「転職についてどう思うか」「フリーターについて」、そんな現代日本のキーワードについて内田氏がズバッと回答してくれる本著。
私には「ランティエ」という言葉が完全に自分の生き方を示していて、ぞわぞわした一冊だった。

- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/04/10
- メディア: 文庫
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厳密な意味でのランティエは「土地や家を貸すことで得られる不労所得によって生活している人」といった具合なのだが、詰まるところは内田氏によると「仕事をせず」「もちろん結婚なんかせず」「本を読んだり、読書をしたり、散歩をしたり、劇場やサロンを訪れたり、哲学や芸術を論じたり」して生涯を終える者とのこと。
なんて羨ましい、理想の生き方であろうか。
哲学的営為とか芸術的創造というのは、単純な話、肘掛け椅子にすわってじっと沈思黙考しても、寝食を忘れてアトリエにこもっていても、誰からも文句をいわれないし飢え死にもしない、というごくごく散文的な条件を必要とするのである。
本著では「30代、未婚、子ナシ」の「負け犬」女性こそが、家庭にも縛られず男性よりも仕事に縛られず、現代の文化を牽引するランティエだ!という展開をするのだが、私のように男性でもランティエ的な生き方を渇望する(そう、もはや渇望というレベルなのだ)人種がいることをここに表明しておきたい。
「負け犬男子」とでも言おうか。社会の目は、負け犬女子に対するものよりもずっと冷たい。
扶養家族がなく、定職への固着がなく、ある程度の生活原資が確保されていると、人間は必ず「文化的」になる。
この前提というのはまるまる私に当てはまるわけで、結果映画を観たり美術館に行ったり旅に出てみたりと、「文化的」になっていると思う。
そして何より、それを壊したくない。金銭的・社会的安定のために犠牲にするなんてのは、個人的にはもう自殺モノだ。
こうやってブログを書けるのも、一種の文化的な条件が整ってのこと。
実際最近は仕事が忙しいおかげでブログを書く時間的精神的余裕はなかったわけで、その結果なんか心が落ち着かなくなってきて、イライラしたりするようになる。
「ランティエ」という考え方。
例えばブログを書くことで生計を立てる、いわゆるノマドワーカー的な生き方というのは非常に憧れている部分があって、そういう道も模索しながら生きている。それはこの生き方もまた「ランティエ」的だからだろう。
ネットからの収入を頼りに日本各地を巡り、ルポルタージュ的な日々と、自分なりの哲学、文化、そういった営みとを織り交ぜながら記事を更新。
そしてそれを見てくれた人からさらに収入を頂き、時には読んでくれている人に会いに行ってみたり……。
そんな日々を夢想することは結構あるのだ。
今の日本で、何もない私が「ランティエ」を完璧に実現するのは正直かなり難しい話。
それでも諦めるという選択肢はない。そういう生き方を「渇望」しているのだから。

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