心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「読書離れ」自体にフォーカスしても意味がない

大学生4割が読書時間「ゼロ」、平均は26.9分 大学生協連の生活実態調査
この手の調査のデータって鵜呑みにしていいか分からないんだけど、まあ色々と思ったことを書いてみる。



先に結論を述べてしまうと、早い話が「読書に代わる何かが増えた」だけだと思うんですよね。記事中でも「スマホの普及で読書の優先順位が後退した」とかなんとか書いてある。


私はゲーム、アニメ、映画。それらは読書によってもたらされる感動や学びを同等以上に所有し得るメディアだと考えていて、

「読書しないから今の若者はぷんすかぷんすか」

という論法は通用しないんじゃないかと思う。


いくら読書したところでバカはバカであり、「読書によって何かを得る」という意識やスキルがなければダメだってことだ(この時の“得る”は、もちろん学びだけではなく感動や面白いなどの情動も含む)。


だから「ゲーム、アニメ、映画によって何かを得る」スキルってのも同様に存在していて、それがあるならゲームやアニメから素晴らしい学びを手にすることはできる。


読書から何かを得ることが出来る人は、ゲームなど他のメディアからでも得ることが出来る人だと思う。基本的に同じ回路で得るものであると考えている。


「本離れが〜」っていうのは要点がズレていて、さらに言うと「なぜ本離れが進行しているのか〜」も少しズレている。そこまではもう理由が分かっていることだろう。


結局教育の現場で読書の面白さとか、読書から自分の人生を豊かにする学びを得る精神的・具体的技術をどうやって与えていくかを考えるってところに行き着く。
こういうところを教えてないよね。

現代社会ってのは、若者にとって本の代わりがアニメ、マンガ、ゲーム、この辺りになっているだけであって、「読書離れがァー」って言われても「じゃあ出版業界が若者のニーズに合わせた展開をもっと考えたら?」としか言いようがない。売りたいなら戦略立てるしかない。



手前味噌ではあるが、もちろん私のように読書を趣味とする人間もいる。
だが読書を特別視なんてまるでしていないわけで、ゲームやマンガと同程度のウエイトのところにあるのだ、読書というものは。

得られるもののエリアが違うから上手く組み合わせているだけの話。さすがにゲームからは仏教思想は学べないのでね。あとぶっちゃけた話、最近はある程度有名どころの小説よりもゲームや映画のほうがストーリーが良く練られていて面白いと個人的には思う。



読ませよう読ませようとするから違和感がある。
読まないなら読まないで、もはやいいんじゃねーかとすら思う。
意外と読書以外のものから、読書で得られるものを得ている人間は多いんじゃないかな、と。


……読んだ方がいいのはいいのだが。
とはいえ、読んでて何も感じない、得られないって人は読んでも意味がないので、他のことした方が有意義でしょうね。