心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「逃げている」と気付けば、それはもう逃避ではない

走っていたんじゃない、逃げていただけだ。 - 自省log

読ませていただいた。自省logさんは虚実がどっちもしっかりしてて素敵です。


なんで仕事を続けるかっつーと「社会から隔離される、会社での評価が下がる、そんな恐怖、強迫観念からだ」といった記事なんですが、まあ私としては


それでいいじゃん!


の一言に尽きる。


私は社会からはみ出しても全然構わないと思っているし、周囲の目とかほとんど気にしないので勝手に評価下がってろ的な部分を持っているので共感は出来ないのだが、先の自省logさんにおける「恐怖」はある意味でモチベーションとして機能しているわけだ。

その動機が「恐怖」というネガティヴィティに起因していることが今後ヤバそう、なんて書いてますが、そもそもそれを客観的に見ることが出来てる時点で大丈夫ではないかな、と思うのである。



仏教思想を踏まえて解釈すると「恐怖をモチベーションにして仕事を続けてる自分」というのを「観測している自分」がいるわけで、この状態にある以上は「観測している自分」がゴールキーパー的な動きをするので壊れることはない、と思う。



感情を無理やり変更しようってのはそれこそ精神を破壊するわけで、やっぱり否定でも肯定でもなく観測ってのが強い。ただ事実を事実として処理する。

その上で理詰めで恐怖からの脱却をするべきであって、というか恐怖に利用価値を見出したなら恐怖すればいい。


とりあえず自省logさんは「山賊になる」という選択肢を取らなきゃいけないほどギリギリではないと思います(笑)。だって自分の精神を観測できてますからね。