心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

人に物申すってことは、物申されても構わねえってことですよね?

とりあえずさ、お互い完璧じゃないから意見言い合うんでしょう?
完璧はあり得ないんだから。
お互いに言われると「ちょっと気に入らねえ」とか思いながらもそれは噛み殺して、直さなければならないところとはきちんと向き合ってお互いに高みを目指して行くんでしょう。


というわけで言われることだけ我慢して聞いて、こっちからの意見が通らないという構造は耐えられないし、どうしても納得も理解も出来ない。


はっきり言うとねえ、人からの意見は聞けない人が、人に意見を言う資格はないですよ。


どこの集団でも一人はいるのが、「言いやすい相手には愚痴から命令からなんでもかんでも言いまくって、結局間接的にそれが周囲に聞こえてきたりして全体をネガティヴにしていく」タイプ。使いやすい人間を選択して利用しているだけに見える。
で、利用される人ってのは大抵自己主張の弱い大人しい感じだったりする。言い返せないからストレスも相当だろうに。


自分は(自分でできうる限り)公平、平等に全体と接して行きたいタイプなのだが、そうなると前述のような人は対極に近い。
というかそういう人を相手にする場合は、公平、平等に行くと相手の気に障るらしく出来ないってのが一番辛いのである。



話を戻そう。

つまり、「言いやすい相手」ってのは反対意見を言ってこないし当然噛み付いてなんてこない、優しい、自己主張のマイルドな人間ってわけだ。
そんな人にだけ文句や批判やなんかをぶつけたって、自身の成長のためのリターンが返ってこないじゃないですか。なんだこれ。

ただヘイト値増えて終わりだ。周囲に与える影響としては成長よりもストレスのほうが明らかに大きい。


人に言うってことは、人から言われても構わねえってことだよ。
それなのに「言い返してこなそうな人」を選んで言うって、ズルくないですかね。

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そのやり方に何処か卑怯さを感じるから、私は言い方や表現に関しては相手に合わせて変えるけれど、言わなければいけないことの「内容」はブレないようにして、平等、公平に伝えようとしている。