心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

性善説を前提としたビジネスモデルの終焉

昨今話題になっている、回転寿司での迷惑行為。気持ち悪すぎてここでは「迷惑行為」という言葉でやんわり濁しますが、寿司・醤油・お茶等々まあ酷い動画が出てくる出てくる。
あの動画群を観てしまった多くの人は、自分のように「もう回転寿司行けねえわ」となったのではないかと思います。

で……まあそこから色々考えてみる。
ひとまず今回のタイトルにあるように、性善説ありきで作られたビジネスモデルは今後急激に衰退していくのではないかということ。
そして根本的に、性善説という考え方は正しくないのではないか……ということです。
一つ一つのトピックについてこれから散文的に書いていきますので、全体としてのまとまりのない文章になると思います。そして結構感情的に書いている部分もありますが……よろしければ読んでいただければ。

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ここから書いていく性善説性悪説という言葉、本来の厳密な意味よりはかなり拡大した意味で使っていきます。その辺はご理解いただいた上で読んでみてください。主に社会的な意味での善悪の話としてここでは使っていきます。

まず前提として、とりあえず謝罪で許されるレベルでは到底ない。頭下げると暴落した株価が回復するんですかという話。
ふと、カイジの兵頭会長の言葉を思い出す。

借金における誠意なんて……これはもう……誰が考えたって一つしかないのだ……!
すなわち……内臓を売ろうと強盗をしでかそうと
何をしてもいいから 要するに……
期日までに 金を返すことだっ……!

今回のは借金ではないけど、構造としてはほとんど同じ。まあ強盗は良くないけど。
あの迷惑行為がなければ今までと同じようにお客さんは入り、株価も下がらず、今後同じようなことが起こされないための備品や器具の用意、スタッフの再教育などの出費もしなくてよかった。
回転寿司店だけの話じゃない。そこに魚介類を卸すことで生計を立てていた漁業関係者、細かいことまでいえば皿や箸などの食器類の生産に関わる一連の業種などまで全部に被害を与えているわけです。もちろん回転寿司店で働いている人も、この一件で業界が先細りしたら失職する人も出てくるよな。
ここまでのレベルなので「謝罪だけで済むわけねーだろ」としか思わないんだよね。一つの店舗に迷惑をかけただけの話じゃなくて、今回のは回転寿司業界全てに対して多大なダメージを与えたので。
一つのビジネスモデルの破壊に近いことが起きたんですよ。背負う物が大きい企業側からすれば、許すわけがない。

ヤンキーの論理

色々な人のこの問題についての意見をネット上で読んでいて、ひとつ「ああ、そういうことか」と思ったのがヤンキーの思考回路理論。
自分は今まで「いや、まずこの手の動画の何が面白いの」と思っていたんだけど、彼らは「面白いかどうか」でやっていないと考えられるそうで。
それがヤンキーの理論。仲間内の中で、少しだけ社会から逸脱したことをすることで自分に箔を付ける……らしい。こっちからすると、その箔付けのための行動が本当に終わっているんですが。

そういう行動原理と、現在のネットが承認欲求を満たすツールとして噛み合ってしまった。
正直今までもいたと思うんですよね、今回のようなことをしていた人は。
ただ、それは今まで見えなかった。今回これが動画という形で可視化されてしまった。なんというか、頭の悪さ(想像力のなさ)と善性の獲得ができないままある一定の年齢になってしまったことが組み合わさった結果という感じがする。

社会的善性の後天的獲得

一つリアルタイムな実体験として、昨年も何度か書いた会社にいる「コソコソとやりたくない仕事をやらない同僚」の話を書きたい。
性善説が真ならば、そういったことはできない……というか、公共善だったり他者に対する罪悪感だったりがその行為に対してブロックをかけるはず。

自分が考える限り、少なくとも「人間社会における善」の獲得はその社会ルールの獲得と並行して行われるから(ルールを知らなければ、そもそも何が善/悪かも分からない)、その善は後天的な学習で獲得されるものなんですよ。
始まりは親から、成長に従って学校だったり、あるいは実際にバイトなどをしながら社会の中で獲得する。
親や学校も当人の善性を育む「社会」と呼ぶのなら、今回問題を起こしている人間の周囲にあった「社会」はどういうものだったんだろうなと。
少なくとも回転寿司にいってあのような行いをしてはいけないということは、まあ小学生低学年にもなれば獲得していてもいい段階だと思うんですよね。人のものを勝手に食べちゃいけないよ、とか。みんなが使うものにイタズラしちゃいけないよ、とか。
根本的な話をすると「人にやられてイヤなことを自分がやっちゃいけないよ」かな。これは小さな時からいろんなバリエーションとして身に付いていくものだと思うんだけど……まあ、意外とこれができていない人もいるんだよね。
それこそ「同僚に自分のやりたくない仕事を押し付けている」という状況、分かりやすく当てはまるというか。自分がやっていることの悪性をそもそも理解できているのかどうか。
分かっていてやっているなら人間性に問題があるし、そこまで理解できていないなら社会的善性の獲得に失敗して大人になっちゃったというか……。

今までの日本が甘すぎただけ

アメリカでは今回の回転寿司店で起きたような問題はほぼ発生しないらしい。
理由は単純で、ゴリゴリの法社会なので容赦なく凄まじい額の損害賠償訴訟に発展したりするから。それだけだそうです。

自分も何年も前から同じような考え方になっていて、正直何を説いたところで響かない残念な人も一定数いるので、精神論ではなく「良くないことをすると社会的に破滅する」という事実によって防ぐしかないと思っている。
なので今まで日本で同じようなことが起こるたび、なんとなく企業側が社会の目を気にして丸い対応をして済まされていたような件がすごく多かったと思うんだけど、今回の一件のように「謝罪はどうぞ、ただそれはそれとして損害の請求はちゃんとやる」という企業側のスタンスは至極真っ当というか、本来これが当然あるべき姿だと思うのです。
今までのバイトテロに対しての処置なんかがずっと甘すぎたんだよな。今回の回転寿司店側の対応のやり方が一般的になっていったほうが、今後同じような問題は確実に減ると思う。

飲食店の今後

ということで飲食店の今後。自分もかつて飲食店で働いていたことがあるし、今でもちょっと飲食業に戻ってみたい気持ちもなくはない。
平均値よりは飲食業界に思い入れがある身としては、ただでさえコロナの影響で壊滅的なダメージを受けたところに最悪の追い討ちしてくれたな……という。

タイトルにしたように「性善説を前提としたビジネスモデル」、つまり回転寿司やセルフサービスといった形のやり方は今後衰退するでしょう。衰退するというか、できなくなったというのが正確かな。豚骨ラーメンの店で卓上の取り放題紅生姜とかも普通に危ねえってことだもの。
もちろん大多数の人間はあんなことをしないけど、1人でもそれをやる可能性がある以上は今まで通りのシステムで運営することが不可能になってしまったと思います。卓上の醤油まで被害の対象となり得ることまで考えると、ほぼ全ての飲食業が何かしら対応を考えなくてはいけないのかもしれない。

飲食業以外にまで波及しつつあるこの問題。
やっている人の大多数が、その行為自体の影響の大きさも考えられず、さらにそれを動画にしてしまうような浅はかさも兼ね備えている若者。
本来なら、これは親・学校・社会からやってはいけないと学んでいくはずのことだと思うんだけど、それが抜け落ちていたのでこうなったと自分は考えるので……やはり人間の本質は性善説ではあり得ないんじゃないかなあと。産まれた時はただの動物だから、後天的な学びによって善を獲得していく。そうやって社会的動物になっていくわけで。
だからこそちゃんとした教育は必要だし、その上で今回のように「何やっても善性を獲得できない人」も出てくると思うので、アメリカのように道徳・良心に訴えるのではなく法の厳しさで足踏みさせる仕組みも必要だと思う。