心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

例の発達障害漫画についての私見

先週の水曜日だったかな?朝からTwitterのトレンドに「発達障害」という言葉が入っていて、その発端となったのが発達障害で人生苦しんできたんだよ、ということを描いた漫画。
これが健常者からだけならず、同じように発達障害を抱えている人からもそれなりに批判されていたりもしてなかなか考えさせられるものでした。

同じように発達障害を抱える人が当事者としてあの漫画を読んで思ったことを書いていたのがすごく印象に残っている。
発達障害の認知の歪みがよく現れた作品。意識は常に自分に向き、相手の気持ちを理解するのが苦手。迷惑をかけた相手は悪者で、自分は常に被害者。……だから居場所がないんだよ」だそうです。踏まえた上で読み返すと本当にその通り。そして「だから居場所がない」というのが本当に悲しい。

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当事者の主観世界100%

まあエッセイ的な漫画だから当然なんだけど、だからこそ批判も喰らっている印象。完全に健常者=加害者なんだよね、作品内で。

もちろん作品内で描かれた、包丁を向けるなんて話は加害者側として描かれて当然。
ただし「仕事をチェックしたらミスだらけだったから直してね」というようなやつに関しては、客観的事実に即してみると結構グレーなんだよな。「仕事内容をチェックしてくれている」という相手の苦労の観点が抜け落ちている。
そもそもを言ってしまえば、例えばこの方がバイトなりなんなりを始めたばかりの時は周囲の人は丁寧に教えてくれていたと思うんですよ。過程の部分が作中では一切描かれなくて、自分が苦しかった瞬間だけが並ぶ。おそらく自分は「被害者」になるからでしょう。

最終的に自分が仕事が出来ずに職場で除け者にされていく間、当然ながら周囲の上司や同僚はその分のカバーをし続けてきている。そこに対しての申し訳なさとか感謝の感じは、少なくとも漫画の中では皆無でした。
これまた先に挙げたのとは違う発達障害の人のツイートなんだけど「自分は仕事をなかなか覚えられないので、それこそ人よりも努力してそれを埋めてきた」といったニュアンス。そして同時に「この漫画を書いた人、仕事が上手くいかない自分を変えようとしてきたのかな(=漫画を読む限り自分を変えようとしていたようには見えない)」というようなことも書いていたと思う。

とまあここまで書いてきたけど、こういうことに気が付けないのもまた発達障害だからだろうと。そしてそこに気が付いていないから、漫画にしてTwitterという場で発表できてしまうんだろうと。良い悪いではなく、そういうところがまさに症状を表しているんでしょう。
「自分は周囲のことに意識を割くのが苦手である」と自覚できているかどうかだけで全然変わってくる。ということで次の話。

他人の気持ちになって考えるトレーニン

で、ここから実体験も含めたお話。
これに関しては発達障害関係なく、一般的にできない人も普通にいると思うんですが(というか自分の職場にもそれなりにいるんですが)、例えば仕事なら同僚の立場で物事を考えてみるみたいなことができない人は存外多い。
周囲からすると自分は特別気が効くように見えているみたいで(自画自賛みたいですが)、どこの職場でも上司からそこを褒められるんだけど、こっちからすりゃそうやって環境整備しといたほうが自分が楽できるからやってるんだけどねえ……。

少し話が逸れましたが、発達障害の人だけに限らず、苦手でもそれをやろうとしてみるということを繰り返すのは大事だと思うんですね。そもそもそんなことが意識にない人も、意外と見るものでして。
少なくともあの漫画を描いた人、これだけ話題になった中でなかなか厳しいことも書かれて傷付いたとも思うんだけど、自分が「他者の気持ちが理解できていないしそれを認識できない」ということを叩きつけられたと思うので、これからそこの練習していけば改善していけるはず。

「できない」って諦めてしまったらそこで終わりなので、できないならできないでいいから一回やってみないとね。
少なくとも「周囲の気持ちが分からない」自分にすら気が付いていないのと、そういう自分だと分かってはいるけどそれでも難しいのとでは雲泥の差があると思います。