まだ読み終わっておらず、途中なんですけど……。
とりあえずこの本は全体的に著者の主観と考え方が入りすぎていて「私が振り返る平成」みたいなもんだと思います。入りすぎていてというか、その主観をベースに書いている一冊。
この本で平成の歴史を学ぶことは実質できないと思います。巻末に付いてくる年表くらいじゃないかね、そういう意味で役に立つのは。

- 作者: 保阪正康
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2019/03/18
- メディア: 新書
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井沢元彦の「逆説の日本史」のように、タイトルの時点で通常の歴史の本じゃないってことを分かるようにして欲しかったかも。
自分のように、単純に平成に起きたことを振り返ろうという気持ちで購入した人間にとってはめちゃくちゃ肩透かしをくらう本、それが保阪正康版の「平成史」です。
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昭和天皇の死と、共産主義陣営が崩壊して実質的に東西冷戦が終結をむかえることの間には何らの相関関係があるわけではない。(中略)それでもなおこだわってみたいのは、歴史には人知を超えた何かが存在するのではないかと思われるからなのだ。
本の序盤でこんな一節が出てきますからね。たまたま偶然2つの歴史的出来事が起きたことを認めた上で、人知を超えた〜なんて言い出します。
別にこれ自体を悪いとは思わない。むしろ歴史というのはそういうこと考えるのが楽しかったりする。
ただしこの本のタイトル「平成史」なのよね。タイトルと内容にズレを感じるのは別に私だけですかね。
あと全体的に「昭和に比べて平成は……」という、ネガティヴな文脈が目立つのも気になる。
平成に入っての政治の劣化だの、昭和に比べて平成は彩りが単調だの……。
さすがに阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件に繋がりがあるように解釈しようとするのは厳しくねえかと思いました。震災が起きた約2ヶ月後に起きた地下鉄サリン事件。時間的に近いからといってこの2つに相関関係を無理やり作られてもなあ、って感じ。
しかもその辺触れたあとはじっくりオウム真理教のお話が書かれているが、自分が読んだ限りでは「筆者が震災とサリン事件に何故関連性を見ているのか」が書かれているように見えないという。
筆者と自分との年齢差、生きてきた時代の差も大きいのかなあ。自分なんかまさに平成元年に産まれたわけで、昭和を肌感覚では一切知らない。
一方筆者は昭和という時代に若き日を生きてきたわけで、ベースが昭和な状態で平成を読み解こうとしている。
平成には年表に残るような大きな出来事が少なかった……からといって、それがそのまま単調な彩りのない時代とはならないと思うのです。
たまごっちの流行だって立派な歴史じゃないかと。携帯電話〜スマートフォンの急激な普及と進化だってまた歴史。平成を読み解くのにテクノロジーの発展って観点はアリだと思うんだが、この辺は「歴史」にならないのかね?