心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「死んだら負け」だけを発信するのなら無責任だと思う

ちょっと前から尾を引いてる(のかな?)、松本人志さんの発言やらTwitterでの投稿について少々。
多分言葉にしていない部分に発言のコアがあるんだとは思うけど、思うがゆえに言葉にしていない部分をちゃんと発信しないとダメな、そんなデリケートな問題だと思います。

自殺リスクの理解と対応―「死にたい」気持にどう向き合うか

自殺リスクの理解と対応―「死にたい」気持にどう向き合うか

個人的にはそもそも勝ち負けじゃないと思うんだよなあって。
命を天秤にかけた時「終わらせたい」と思ってしまうほど追い詰められているって話であって、踏みとどまれないと負けってのがどういうことなのかが分からない。

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死の恐怖を上回るくらいに生きることが苦しい、そんな状況を少なくとも自分は想像できなくて、想像できねえくらい苦しいって考えるとゾッとすることしかできない。
んで、そんな想像もできないほどのことに対して安易に「死んだら負け」なんて言ったら、言われた当事者はどんな想いを持つだろうと。

感覚としては、勝ちとか負けで話してもらいたくない内容。複雑な要因が絡み合ってそれに至るって言うのなら、結果の方も勝ち負けの単純な分け方ではないはず。


自分の考えとしては、やはり「どうやったら被害者を踏みとどまらせるか」よりも根本的に「どうやったら加害側を0に近づけられるか」みたいな方が大事だと思う。ドライな話だけど、そうなると感情論・精神論じゃなくてシビアに法整備とかしていって、加害者側が社会的なりなんなりのデメリットを受けるようにしていくしかないと思います。
いじめとかそうだけど、間接的に人の命奪ってるわけだから……。そこに罰則がなければ、モラルに訴えても効果がない人を止めることができないと思う。んでモラルがあったらそんなことしないわけだし。


とりあえずは松本さんが言う「死んだら負け」の深いところを、本人から聞いてみたいなって思います。