最近は自己啓発本に並行するようにして、仏教系の自己啓発とも言うべき本を読み進めています。今は瞑想に夢中。
現代人のための瞑想法―役立つ初期仏教法話〈4〉 (サンガ新書)
- 作者: アルボムッレスマナサーラ
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2007/07/25
- メディア: 新書
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一種の諦めでもある「受け入れる」という状態なんですけど、これに至るのがものすごく難しい。
この考え方っていわゆる自己啓発系の本に書かれている「具体的にイメージし続けたことは実現する」という理論とは基本的に真逆な感じでして、「現実を感情を排してそのまま認知すること」なわけです。
お金がないという状態をどう乗り越えるかというと
「お金がある状態をイメージして、そこに至るまでの道のりを具体的にイメージして行動する」のが自己啓発系ならば、「お金がないという現実をまずは受け入れ、それを苦しみなどとは考えずにその現状でできる事をただ行動する」とでも言えそうなのが仏教的な乗り越え方。
うーむ、ですね。
ともあれ瞑想のお話。
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座禅や瞑想がどういうことを行っているかというと「何も考えないことを目指す」みたいに簡単にまとめられがちなんですが、そのために座禅・瞑想中に何をしているのかというとひたすら事実を観測し続けるということをしているわけです。しかもそこには主観性を排除しながら、という条件付き。
例えばずっと足を組んでいて痛くなってきたら、「痛い」ではなく「痛み」という事象をただ認知する。
眠くなってきたら「眠気、眠気」と観測する。
なにか考えてしまったことに気が付いた瞬間に「雑念」の存在を理解して認知する。
決してその先のことを考えてはいけません。
「どうして痛いんだろう」とか「眠気が出てくるとは集中できてない」とか「雑念は捨てなければ」とか、それらはすべて考えてしまっているし、それ自体が雑念です。
「風」とか「音」とか、「匂い」や「痛み」など。
感覚をそのまま客観的に、その瞬間瞬間リアルタイムで見つめ続けること。「気持ちのいい風だ」などというポジティブな感情さえアウトです。
これをひたすら続けることで、徐々に心が今に近づいてきます。
現代人・・・に限らないと思いますが、人間というのは過去に対する公開や未来に対する不安にまみれて生きているから苦しいので、わたしみたいな人間には特に効果テキメンです。
このヴィパッサナー瞑想、いついかなる時だって出来ちゃうのがいいところ。
ご飯を食べているとき、立ち上がるとき、歩くとき。常に自分の身体の動きを実況中継するようにして観測し続ければ、それはもう瞑想。
この時は多少主観っぽい感じでもいいようです。歩くときなら「右足を上げます」「前に出します」「右足を下ろします」のような感じです。できれば動き自体をスローモーションにすることで、観測も精緻になり効果もアップします。
今のわたしでは瞑想中もちょいちょい雑念が入っては「雑念、雑念」唱えていて全然なんですけど、10分も続けてるとちょっとだけ楽になるような感覚があります。
まあ、瞑想を終えるといろいろ考えちゃって苦しみが戻ってくるんですが。
いままで「考える」という行為によって生きてきたわたしには「意図的に考えない」ことをひたすら追求するのは結構大変なんですけど、毎度毎度短いながらも瞑想後に思うのは「頭がすっきりした」という感覚。
そうだ、瞑想、しよう。