本当の良さ、知っていますか? 瞑想にまつわる5つの嘘 | ライフハッカー[日本版]
これねー、実際に瞑想をするようになるとよく分かることだらけ。
いつでもどこでも、どんな状況でも瞑想はできる。
「どんな状況でも、どんな時代でも。人は、人を愛することができるはずだ」
ってソリッド・スネークも言ってたしね。関係ないけど。
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体感としてはですね、瞑想を進めていけば一人ずつそれぞれ異なるスタイルの瞑想に至るんだと思っていて、それは本当に多岐に渡るもの。
音楽の有無、お香の有無。
信仰、空間、時間、果ては姿勢まで。
もちろん正しい師がいるならば学ぶのが一番だけど、わたしみたいに本読んでなんとか頑張ろうっていう独学型の人も結構いるはずで、瞑想の第一目的が「心の平穏」だとするならばそれを達成する環境というのは一人一人全く違うのが当たり前。人間だもの。
ということでわたしの体験に基づく極めて個人的な解釈ですが、いろいろと先の記事に補足する感じで書いてみることにします。
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瞑想の目的は意識を今に戻し、コントロールを取り戻すこと
普段の生活を送っていると当たり前のように使ってるんですけど、少し考えれば脳みそちゃんって恐ろしくハイスペックなコンピュータだということには簡単に気が付くはず。
基本的には相当数の事を常に同時に考え続けているわけです。
例えば「次にやるべきこと」「ここまでにやってきたこと」なんかを処理して「今やるべきこと」を計算してくれて、仕事なり遊びなりのデータを出してくれる。
これだけならいいですよ。
ここに加えて突発的な何かが発生したら急遽タスクを組み直してくれたりしてね。
さあ一日休みだってなったら、わたしの場合なんかは「観たい映画が~時から上映だから早めに起きて、観終わったあとは~して~して、晩飯何にするか」なんて感じで。
全然休まってないよMy sweet 脳みそ!!
となるわけで、これが何をもたらすかというと「雑念の蓄積」なのであります。
先に挙げたようなところがそのまま好例なんですが、過去や未来を常に視野(なんつーか脳みその、ね)に入れ続けて思考は組み立てられるのが基本なので、抱えても何の意味も持たない不安とか、後悔とか、そういう「時間」という概念に関連するように発生するネガティヴな感情が溜まってくる。これをわたし的には「雑念」としてまとめちゃってるんですけど、こいつらはふとした意識のエアポケットにスッと入ってきてテンション下げたりしてくる。これってコントロールできなくて、勝手に襲い掛かってくる感じなんですよ。
瞑想や坐禅の一番やりやすい方法として「自分の呼吸に意識を集中する」っていうのがあるんですけど、これは本当に効果が高くて、ここに関してはそれぞれのやり方ありますよ、とは言っても万人におススメしたい方法。
「呼吸」というのは「自分」が行うことであり「今」行われていることであるわけで、それに集中するってことは「今という時間に」「自分というものを制御下に置いて」集中するというか。
とにかく不安や後悔というものを生み出す原因から離れるわけですから、だいぶ精神がすっきりしてきますぜ。
ということで個人的には「休みなく動作し続けている脳みそのアプリケーションを一旦オフにして、容量とかメモリを解放する」っていうのに近い感覚です。iPhoneとかでもやるでしょ?ホームボタン2回押して起動しているアプリをオフにしていくでしょ?
あんな感じ。
瞑想って端的に言えば技術
瞑想のコンセプトは仏教、ヒンズー教、中国の伝統に端を発するとはいえ、実験心理学の観点から見た瞑想は、スピリチュアルなものではなく、集中力に関するものだと言えます。すなわち、心を静かにする能力、いまに気持ちを集中させる能力、降りかかる雑念を振り払う能力を意味するのです。
瞑想、あるいは坐禅もですけど、これらは実際にはまるで宗教性がなくても行うことが可能なことで、端的に言うと宗教ではなくて自身の心にアクセスし、調整するための具体的な技術群です。
そもそもブッダ自身が行っていたことが宗教ではなくて心理学や哲学に近いものだったし。
別に何も信じていなくてもいいんですよ。
何か信じている人はそれをよりどころにして瞑想すればいいし、なにもそういうものがない人は、例えば自分自身への興味とかそれ自体を切っ掛けにすればいい。
一所懸命になって讃美歌を歌うキリスト教徒だって、あれは一種のマントラであり、瞑想のひとつのカタチということはできますし。
いつでもどこでもできるし方法もかなり広く解釈できるものだとわたしは思ってます。
マントラを唱え続けてもいいし、なにも唱えずにただ呼吸に意識を向け続けてもいい。
精神が整理整頓されていくなら全部瞑想と言えると思います、はい。
自分にとってのベストな瞑想空間はやりながら作り上げていくもの
ということを踏まえて「瞑想のやり方」というのを考えてみると、最低限のルールみたいなものはあるのかもしれませんが、基本的には自分自身で何度も環境を変え、自分にとってのベストな空間を作り上げていくしかない。そうなると教わっているだけでは限界が来そうです。
わたしの場合だとよくある「瞑想時の集中力を高めるミュージック」みたいなやつは正反対の影響を受けまして、まるで集中できなくなります。
自室で行う場合は窓を開け、ゆるく風の入ってくる感覚や鳥の鳴き声、車の走る音、時には子供たちの遊ぶ声、そういったものを感情を挟まず、ただそのまま情報として理解していくというのが一番。これは瞑想というより坐禅なんですけどね。
逆に音楽を流し、そのヒーリングミュージックっぽいやつに集中することで外界のノイズをシャットアウトできる人もいるでしょう。
匂いもそうですね。
お香を焚いたほうがいい人もいるし、わたしのようにこれまた必要ない人もいる。あ、お線香は好きなので一度試してみようと思ってるんですけど。
んで「さあ瞑想するぞ」といって瞑想しなくても、同様の効果を得ている人は割と多くいると思います。
スポーツに打ち込んでいる人。普段はいろんなしがらみがあっても、そうしてスポーツをしている最中はそれに集中してますよね。これもまた一つの瞑想と言えます。
つまりモンハンやってる時だって、集中してやってればそれもまた一つの瞑想なんです。
時間も空間も、自分にとってのベストな瞑想を探してみるのがいいでしょう。
瞑想は急にひらめきみたいなのがやってくる。「無双三段!!」みたいに
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とはいえ改めて「瞑想するぞ!」といって瞑想することは結構意味があると思っていて、基本的にスポーツとか趣味を通して瞑想状態に入っていても自意識ありませんから、瞑想中の「来た!!」感があんまり感じられません。
瞑想するために瞑想を続けていると、ある日突然非常に精神が心地よい状態に突入することがあります。
体感的に「ああ、これか。これが瞑想で至る第一歩目か」などと思っているとそれは終わってしまう。
そんな風にある日突然やってくる、ロマサガで下り飛竜でも閃いたんじゃねーかみたいなことを何度も繰り返しながら、その頻度が高まっていって、やがて瞑想するたびにそれを感じることができるようになって、そしてその次のステージへと向かう(わたしはまだまだそんな風に日常的にそこまでいけないんですけど)。
なんだかドラクエやFFみたいな王道レベルアップな感じでありながらも、ロマサガのように戦うたびにちょいちょいステータスが上がっていく感じもあるのが絶妙なのが瞑想。
それを楽しむのもまた瞑想です。
まとめ
結局は実際にやってみましょうね、その中でマイベスト瞑想を作っていきましょうって話なんですけど、まあなんつーかまずはみなさん一回やってみませんか?と。
堅苦しいイメージ持たれてんのか分からないですけど、生きることにおいてなにかしら悩みや心配事を抱えているひとにとってここまでストレートに効く治療法もないと思ってますし、なにより悩みも心配事もない人間なんてマジ数パーセントだろうと思ってますんで、もう人類はみんな瞑想や坐禅を学べばいいんじゃないかと思うのです。
義務教育で教えてくれればいいのにレベルです。
ちなみにマイベスト瞑想は公園でベンチに座りながらなんですが、なかなかできる機会が作れなくてもどかしいわけで。
時間も空間も制限されないとはいえ、たまには家での瞑想から飛び出して、違う環境で、いろいろな場所で瞑想するのもまたいいものです。
ということでみなさん一度瞑想してみてくださいよ。
ただ目を閉じて、自分の呼吸を意識するだけでいいんですから。