心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

真の八方美人は意識しないよね説

半沢直樹面白かったですねー。一歩です。


睨みきかせてるときに少し首が斜めるのがたまらん

今回は「八方美人」について考えてみました。
家族からもたまーに「八方美人」と言われる自分ですが、いわゆる八方美人って、実際のところ敵も多いんじゃねーかなと思うんですよね。

そんなわけでいってみましょう!

八方美人
意味合いは、「誰からも悪く思われないように、如才なく振る舞うこと」だそうで。



えーとね。
上記の通りの意味の「八方美人」は結構いますよね。ただこういう人って、一言で言うと「自分がない人」と言えそう。あとは対人関係を異様に重要にしたり、一人になるのが怖いとかね。いずれにしろ「自分がない、自分に自信がない」ことの裏返しかなーと思います。

結局、本当の気持ちを伝えないし、相手ごとに違う顔をしているもんだから、そのうちそれがバレて信用を失う。そんなイメージです。



それなりに自信を持って言えますけど、自分も確かに「八方美人」です。でも上に書いたようなものではないと思ってる。

別に誰からも嫌われないようにしようとか思ってないし(それどころか嫌いなやつは嫌ってくれやっていうスタンス)、顔を変えるのが面倒なので最低限の礼儀以外は基本的に誰にでも同じ接し方をしている(つもり。周囲はどう思ってるか分からんけど)。

結局こうなると、はじめは「うわー図々しい。苦手なタイプやでー」みたいな感じになることもあるけれど、しばらくすると裏表ないことも理解されてきて、最終的に信頼を得る。体感でこれは確実。

詰まるところ、「八方美人」を演じると敵を増やしていく。
でも「八方美人」やめて常に自然体だと、はじめは敵も出てくるけどどんどん減っていくものです。表裏ないから「こういう奴なんだな」って理解が得られるからね。

いわゆる「天然ちゃん」を苦手な人はいても嫌いな人はさほどいないのって、こういう理由じゃないかと思いますね。



で、こういう八方美人ってのは「オレはオレなんで」っていうアイデンティティが必要なワケで、それを構築していくには人によって付け替える「仮面」を捨てることでしか育まれないと思うんです。

人の意見を鵜呑みにしたりしない、とか。
そこに一つ、自分なりのエッセンスを加えてみる、とか。
いろんなことに「自分の色」を混ぜていく。
こうやって「自分らしさ」を探して行きましょうや。



自分にも言葉では表現出来ないけど、いつからか自分が自分であるための「芯」が生まれていたものです。

なんつーか、それに照らして生きていく。そうすりゃいい顔もしなくていいし、裏表も必要ない。上司にも(もちろん敬語使いながら)反論できるさ。
自分を握りつぶす必要なし。


そっちの方がずっと楽で、人に気に入られる「八方美人」。
自分はそう思います。