こんにちは、「げ」です。
「リア充」って言葉ありますよね。
自分、この言葉嫌いなんですよね。というかこの言葉に社会や一般の人々が与えている意味が。
現実(リアル)が充実している、でリア充ですよね。
これ、まともに考え直したら立場が逆転すると思うんですよ、今の「リア充」と「非リア充」。
世間的には非リア充とされる者こそ真のリア充だ!
今日はそんなお話です。
ツイッターなどでTL追っかけてて思うんですけど、リア充の前提条件に
「彼女(彼氏)がいる」
ということが、もはや無意識レベルで刷り込まれているように感じます。(言葉の発祥を知らないので、そもそもそういう意味が含まれて生まれた言葉だというのならいい機会なのでここで定義を壊したい)。
だからそんな異性関係がある人は「自分はリア充だ」って言う。
ない人は「彼女(彼氏)がいないから自分は非リア充だ」って思う。
おかしくないかコレ。
現実の充実と異性の特別な人がいるのと、関係はあるけど全てなわけがない。
むしろ要素としては少ない側にカテゴライズされていないと危ないとさえ言える。
「リア充」でしょ?
だれの「リアル」を「充実」かというと、「自分」ですよね。
極論ですけど、彼女(彼氏)のご機嫌とることに「現実」の大部分を奪われた時、それは「充実」と言えるんでしょうか、自分の「現実」において。
自分は旅したり、飯を食ったり、基本的には一人ですることがほとんどなんですけど、それは自分の世界に余計なモノを持ち込みたくないから、という気持ちが強い。
本当に行ってみたい居酒屋などを見つけたら、確実に一度目は一人で入ります。それで酒と料理を味わって、店員さんや常連さんと話をして楽しむ。
それで初めて「この前超いい店見つけたぜ!」といって友人を連れていけるというものだ。
「自分の現実」を充実させているという意味において、私は相当の「リア充」だという自負がある。誇れるほどある。
だから、自分には理解できない世界ではあるけどアイドルやアニメにすさまじくのめりこんでいる人。
自分の観点から言えば、この人たちこそよっぽど「リア充」です。
ではキングオブリア充、赤木しげるさんの究極のリア充名言を。
「勝負が……人生の全て……!
女、酒、友人…家族…そんなものは全部休憩だ…!
オレは偏っている
オレは唯一それを誇りにここまで生きてきた……!」
ここまで到達しろとは言いませんが、自分の中にある一本の芯を頼りにいきていくこと。
「リア充」の本当の意味が、ここにはあります。