年末にこんな話でも。
- 作者: 牧野恭仁雄
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2012/01/07
- メディア: 新書
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実は自分も若干キラキラネーム気味なんですが、これまた人生の要所要所で少し厄介で。
名前は7〜8割の確率で読み方を間違えられ、小さい頃なんかは多少名前でいじられる。
自分程度の「気味」くらいの名前ですらそうなのに、今の子供たちのクライマックス・キラキラネームだとどうなっちゃうんだっていう。
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少し前テレビで林修先生も言ってた記憶があるんだけど「名前」の持つ意味とは何かと。
その名前が付いたものを、その名前によって定義するためにある。
なのでその名前が読めないとか、周囲の人が分かりにくいとなると、端的に言うと名前としての機能が機能してないことになってしまう。
初対面の人なんかに漢字の字面から違う読み方された後、「いえ、自分の名前○○って読むんですよ〜」というやり取りを毎回やるの、地味に面倒なんですよね。
そしてこのやり取りが行われる頻度が高ければ高いほど、周囲の人からすると自分の名前が分かりにくいということの証左でもある。
最近の子供の中には「嘘だろ……」みたいな名前を親から与えられてしまった子供も少なからずいます。
おそらく人生において、全体の中盤くらいまでは大小問わず常に名前によって悩まされる事案が発生していくのです。
子供の名前は親のためにあるんじゃなくて、その本人のためにあるってことまで考えて名前付けないと。ちょっとは想像力働かせて「この尖った名前だとこの子の人生はどうなるか」くらいまでは考えた上で名前考えないと。
ちなみに自分は、何故か人の名前とかあまり覚えなくなってきました。毎日会うような職場の人とかなら流石に覚えるけど、数回会っただけの人とかはもう全然覚えてない。
あと誕生日とかは友人とかでもはっきり覚えてない。
名前や誕生日みたいな、データ・数値的な部分にアイデンティティみたいなものを求めなくなってきた。「この人はラーメン好きだったな」とか「この人はめちゃくちゃゲーマー」とか、そういう趣味嗜好とかで覚えてる。