読ませて頂きまして思ったこととかを走り出すように垂れ流してみる。
開幕頭をもたげたのは「核ってそもそもなんだろう?」で、続けて出てきたのが単語が「仏教」「赤木しげる」「ダークソウル」だった。実に私が影響されているモノがエッジ効かせて出てきたという感じだ。
働きたくはないが何かは食べたいし欲を言えば美味いウイスキーが飲みたいし、眠い時は寝るし読みたい本に出会えば読む。そんな欲望が私を私足らしめる「核」といえるかというとまたそれは違う気もするが、始終どこかで「生きることはそもそも辛いことだし」と半ば諦念しつつもそこそこ楽しく生きているのもまた事実である。
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さて、改めて私の「核」ってなんだろうか?と考えれば、2年くらいまえならアイデンティティとか人間性とかその辺の言葉を吐いていたかと思う。
人間性……そう、人間性だ。
つっても仏教という考え方に出会ってからもっぱらその人間性はある種のノイズであると思って生きている。なので先に結論的なモノを言ってしまえば「核なんてねえや!」が今の私のスタンスである。
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この中では、というかアドラー心理学をすげーざっくり言うと「俺は俺なんで……」と他者との人間関係との切り離しによって生きていく中のほとんどの悩みを解決しつつも、自己肯定感を生み出すために他者の役に立つことしようぜ(実際役立つかではなく、自分が役に立ってるなあと思ってればOKってのがミソ)という感じなんだけど、なにこの赤木しげるっていう。
この赤木しげるって人は「自分が自分であること」のために命を捨てられる男。
アルツハイマーにかかったことで自我が間もなく失われるということで、その前に自死を選択する。
「主役はあくまで俺…!
命は俺を運ぶ者…………!
俺が…
俺を全うするために命がある…!」
という驚異的名言もあるね。赤木さんカッコよすぎて脳みそとろける。
ここにいわゆる「核」を垣間見る気もするんだけど、死ぬ瞬間に彼が思ったことは「飛散しろっ……赤木しげるっ……!」であり、死の瞬間には「自分であること」からも手を離すというのがいろいろ考えさせる。
周囲に目もくれずただひたすら自分と向き合い続けた結果たどり着く境地が「自分を捨てる」というのは、仏教での悟りへ至る道にも似た道筋だ。
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実体験として坐禅してるとなんとなーく「自分」が希薄になってくる。でも坐禅中に何やってるかというと、自分の身体の変化をひたすら観測しているわけ。
基本的には黙々と呼吸を数えていて、「足が痺れてきた」とかを感情を入れないように入れないように「観測する」。
そうやって自分へ自分へ入っていくことを続けてると、ある瞬間逆転したかのように身体と外界の境界が薄らぐような感覚が訪れる。まあ数回しかここまで至ったことないんだけど。
結局座学だけじゃあ体感がないから、修行を通して直接無我を理解しようぜってのが坐禅だし修行の意味じゃねーかなと思うんだけど、核が何かっていうと核は「自分の中にはない」なんじゃねーかなと思うんですな。
「核がない」と思うのって、もしも今の私がそう思えるのならそれは大きな一歩なんですけどね。
その「核のようなもの」から手を離し切ることが出来ずに日々めんどくせえと思いながら生きてるんだ。