「多賀城」といえば仙台とのアクセスの良さから今ではベッドタウン的な位置付けになりつつある街であるが、1300年ほどの昔は「対蝦夷攻略の拠点」として大和朝廷が作った東北の軍事・政治の中心地であった城の名前がその由来である。
多賀城 - Wikipedia
その多賀城の痕跡はいまも各所に残されており、その周囲には数々の神社もあるとか。
本当は早起きして涌谷町を散策するつもりだったのだが目が覚めた時は既にアラームを無視して2時間ほど寝坊していたことが発覚。
わたしは静かに多賀城へと舵を切ったのであった。
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街としての多賀城は仙石線「多賀城駅」が便利だが、史跡としての多賀城を見たいのならば東北本線「国府多賀城駅」がもっとも近い駅となるだろう。
国府多賀城駅からすぐのところに、早速こちらの「浮島神社」が姿を見せる。
浮島神社 (多賀城市) - Wikipedia
住宅街の片隅にある小高い丘にあるこの神社は歴史も古く、平安時代には歌に詠まれ、また松尾芭蕉も訪れたという場所。
周囲の住宅街がなかった頃には、まさに浮島の名のように陸に浮かぶ島のように見えたのではないかと思う。
静かな境内で少しだけ休み、なんだか幸先の良いような旅のスタートだ。
今では建物は残っておらず、その遺構だけが保存されているといった状態の多賀城跡ではあるが、そのエリアはというと広く、ここで紹介している中央の政庁跡の他にも少し北に進めば行政の中心地だった建物の跡なども残っており、「多賀城」という機関が大きなものであったことが伺い知れるというもの。
天気も良く、どこか公園でも散策しているような気持ちよさが漂う。
別の史跡へと向かう途中、いい感じの道を見つけた。
多賀城という場所は史跡と人々の生活とか絡み合うように発展していて、この道の先には普通に住宅が左右に並ぶ。
どこか以前訪れた奈良県明日香村に似た空間。
歴史と生活、過去と今とが同時に存在している。こういう空間は大好きだ。
次に訪れたのは陸奥総社宮。
陸奥国にある100の神社に祭られている神様をここに大集合させているという、なんだか凄そうな神社である。
代々伊達家の藩主も篤く信奉していたそうで、つくづく多賀城の歴史のディープさを思い知る。
歩き旅を愛する身としては見過ごせない神社が多賀城にはある。
荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)である。
この鳥居の先に拝殿がある……と思い進むのだが、なんと左側には普通に人の住んでいる民家が。
その脇に小さな拝殿があったが、すぐ隣は人の住んでいる家だということもあり小さめの音で二拍手する。
腰から下の病気や旅の祈願にご利益があるとのことで、拝殿にはサンダルや靴などがたくさん。
脛巾(はばき)がそもそも脚絆のようなものであることを考えると、ストレートながらも密接な信仰体系だと感じた。
多賀城、思っていたよりもずっと面白い場所である。
多賀城市観光協会|日本三大史跡、歌枕(家持・西行・芭蕉)の地を巡る
こちらの多賀城市観光協会のサイトを見ながらいろいろと計画を立ててみるのも面白い。
見ていないものも結構あるので、そのうちもう一度行ってみようかと思う。
さて、この時点で正午を回ったところである。
ここからおもむろに駅に戻り、東照宮へと向かうのだけれど……それはまた次の記事ということで。