私という人間を色々試してみたいなーと思い、その一環として一週間ほどブログ書くのをビタっと止めてみたんだけど、「書きたい」という気持ちはまったくおさまることはなく、自分自身に一安心したと言いますか、なによりもブログを中心としたネットによる収益で生計を建てたいなーという気持ちが穏やかに強まった。
漠然とした「ブログで生活してー」ではなくて「どうすればブログで生活できるのかなー」を考え始める時期が訪れたのかもしれない。めっちゃ本とか読んでるし。
タイトルの通り、私は「働きたくない」という気持ちの大切さを色々な面から考えていて(そこ、現実逃避とか言わない)、今の社会が私にとって生きにくい以上は自分なりに道を模索し続けなければならないのは仕方のないことである。
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自分でもなんとなく気が付いてきたけど、私は所々で軽めの社会不適合者であって、我慢は出来るけど周囲の人間と同じように行動なんてしたくはないし、我慢は出来るけど上司の言うことを黙って聞くこともしたくないし、我慢しなきゃいけない時点でもうなんかアレなわけだ。
「誰だって我慢してるでしょ」とか言う人もいそうだが、私は感覚的にはその「一般的な我慢」よりも必死に我慢してると思う。
旅はまず間違いなく誰かと一緒になんて行きたくないし、映画も一人でしか観ないし、飯も基本的には一人で食べたいし、そんな感じ。基本的に一人でいたいという欲求が勝る(先日も一人で映画観た後に中華料理食べてから新しい靴を買い、ちょっとゲーセンで格ゲーしてから帰るという素晴らしく充実した一日を過ごしたばかりだ)。
だから仕事だって、本来なら一人で行える仕事をしたい。飲食店を将来自分が出すなら、まず間違いなく店員は自分一人か+1人程度までの小さなお店しか考えてない。
私の言う「働く」は、上司と部下がいて命令を聞いて、自分に選択権も考える権利も与えられずただこなすだけ、みたいなものを指すのだけれど、まあ早い話が私はスーツ着てサラリーマンをやるなんてのは不可能だってことは根源的なレベルで理解し始めている。いや、できるんだろうけどやりたくないし、そんなことに我慢というリソースを使いたくない。我慢という力はやりたいことをより突き詰めるときに使うもんだ。
いわゆる上下関係のストレスに耐えながらお金を得るというのが「働く」だとするなら、私は働きたくねえわけであり、今の社会は生きにくいとはいえ、探せばいろいろな方法でお金を生み出すことはできるわけだ。
その具体例の一つがブログによる収入を増加させていくことであり、実際に私が取り組んでいる最中のことでもある。
企業などの「グループ」に参加しない形というのは、本当に大変だ。特に序盤。
軌道に乗るまでのつらい時期や勉強のための資金はすべて実費だし、なにより責任や覚悟はすべて自分にフィードバックしてくる。
だからどこかの「グループ」に所属しながら、その残った自由な時間と使えるわずかなお金とをやりくりして、自分の本当に生きたい生き方を目指していく。そしていま目指し始めている私。
働きたくねえ。
だからブログ書きつつ、自分の将来の夢のひとつでもある「和のおつまみが楽しめる小さなショットバー」の開店と、好きな時に好きなだけ旅に出られるような生活とを、どうにか成立させられないかともがいているのである。
「やらされてる」って感覚なければ、働いてるって感じともまた変わりそうだしね。
ちょっとこれはパラダイムシフトのヒントな気がする。

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