心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

養老孟司「自分の壁」を読んで個性信仰から脱却する

こんにちは、「げ」です。


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ゴルゴ13 173 (SPコミックス)


本腰入れてブログで生活していくための勉強をしている中で、そもそも「ブログってなんなんだろう?」みたいなことを考えていたら、端的に言うと「筆者が自分自身をコンテンツに変換して発信するメディア」みたいな感じなのかなーと思ったんですね。

たとえ扱ってるテーマが漫画やドラマの紹介、ゲームの攻略などだとしても、そこには絶対に書いている人間の個性が出てくるはずだし、それがないと面白くない。
ここでその人ごとの「個性」ってのが出てくるわけです。


今、養老孟司さんの新作「自分の壁」を読んでいるんですけど、これまた実に分かりやすい文章でいい。

「自分」の壁 (新潮新書)

「自分」の壁 (新潮新書)

だけどこの本で書かれているのは言ってみれば「個性=自分という、我/他者という境界=壁を強く持つことへの警鐘」であって、これまた今後のブログ運営に波紋をひろげること請け合いでございました。

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個性信仰は西洋文化

冒頭からビシッとかかれているのがこれ。戦後の欧米文化の流入と同時に、「自分」を重要視するようになったと養老氏は論じています。

 もちろん、特徴や長所があることはいいことです。誰もがロボットのようになるべきだと言いたいわけでもありません。
 しかし、そのような個性は、別に「発揮せよ」と言われなくても自然と身についてくるものなのです。周囲がお膳立てをして発揮させたり、伸ばしたりするたぐいのものではありません。むしろ周囲が押さえつけにかかっても、それでもその人に残っているものこそが個性なのです。

 個性は放っておいても誰にでもあります。だからこの世の中で生きていく上で大切なのは、「人といかに違うか」ではなくて、人と同じところを探すことです。

個人的にすごく突き刺さったので赤字にさせていただきました。
正直なところ、私は結構ディープな個性信仰者だったわけです。その事実に気付いたことと、こうしてブログを書いていての問題点みたいなものがするするとリンクしていくこの感覚・・・。


「多くの人に読まれるブログ」になる条件はなにかと考えると、前提として「多くの人が共感したり反応したりしたくなる記事を書くこと」だと思ったのです。
それはつまり「人と同じところを突っつくようなことをテーマにすること」だと。
取り扱うコンテンツは多くの人が興味を持つようなものを取り上げて、その中で勝手ににじみ出る「個性」がちょっとはみ出すくらいの感じでしょうか。


根本的に考え方が真逆だったんですね、私。そういう観点でよく読まれている方のブログを読み直してみると、自分のブログが恥ずかしくなります。
「自分らしさ」「個性」、それらを第一に置いた結果、文体は論文のような「~だ、~である」で表面上の自分の確立感を演出したりして。ひゃー、恥ずかしい。そこじゃねえよって過去の自分に言いたい。


「自分の壁」の外はものすごく広い

「自分の意識では処理しきれないものが、この世には山ほどある」
 そのことを体感しておく必要があります。
 常に「意識外」のものを意識しなければならない。

個性や自分というものを意識しまくった結果が今の私なのですが、正直危ない部分も出てきました。
「全能感」の拡大です。

「自分、自分」としている中、そして幸いにもそれなりの結果を出して生きてきた結果、「自分なら大体のことはできる、知らないことでもなんとなくこなせるだろう」といった、自分への信頼というレベルを超えた過信が芽生えてきました。そしてまあまあ成長してしまいました。

こんな風に過ごしてきてしまうと、「自分の壁」の内側の空間がどんどんと広がってきてしまうわけです。本来ならできないレベルのことも、当たり前のように自分のエリア内の事象だと錯覚してしまう。いやはや、これ一番タチが悪くないですか。ビッグマウスなだけで有言実行できないってタイプです。


意識、つまり自分とも言い換えられます。
その意識の外にあるものがどれだけ広大で膨大なのかを「意識する」。自分ではなく、自分ではないものを意識する。
この感覚は本当に大切だと思います。


本当の自信は、「自分」が作っていく

問題がおきたら、考えて考えて、登ったり道を探し出して、越えていく。
逃げる、回避するという方向に要領よく動いてばかりいると、「自分の壁」が正しく積み上げられていきません。

 自分がどこまでできるか、できないか。それについて迷いが生じるのは当然です。特に、若い人ならば迷うことばかりでしょう。しかし、社会で生きるというのは、そのように迷う、ということなのです。
(中略)
 なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことになります。
 しかし、そうやって自分で育ててきた感覚のことを、「自信」というのです。

当たり前のようで、私にもっとも足りてないともいえるようなこの考え方。
思えば考えることで生きてきた私には、間違った形で育まれた「自信」もかなり含まれています。


ブログ運営だけに限らず、トータルで「生きる」ということ自体をも考えさせられる一冊でした。
思えば冒頭で出したゴルゴ13も、「個性」があるかと言えばちょっと違うような気がします。「狙撃する」「生き延びる」そういったビジネスとしてのツールを徹底的に磨き上げた結果、それ自体が個性と同化したような人物、それがゴルゴ13でしょう。その姿勢は長年尊敬しているゴルゴだったのですが、こんなことに今まで気が付かなかったとはゴルゴにも申し訳が立ちません。狙撃されないように学んでいかないと。

「自分にできないこと」「他者と同じこと」それらを意識していくことで、「自分の壁」をちゃんと構築していかねば、と思った次第です。


「自分」の壁 (新潮新書)

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