夕暮れですねえ……一歩です。
先日NHKにて放送された内村光良のコント番組「LIFE」を観て思ったことですが、今回は「LIFE」のお話ではありません。
少し前にフジテレビで放映していたコント番組「リチャードホール」のお話です。
「リチャードホール」は、中川家、アンタッチャブル、くりぃむしちゅー、おぎやはぎ、森三中、劇団ひとり、ビビる大木と、豪華なメンバーで作られていたコント番組でした。
そしてこの番組のコントは、明らかに異質なものでした。それは「LIFE」を観てはっきりとしました。
「LIFE」におけるコントは、台本があって、その通りに役者さん芸人さんが演じて、笑いを取るポイントも定まっている。実際はどうなのかは分かりませんが、ドラマを撮っているのと変わらないのではないかなーという印象。凄く面白かったんですけどね。
それを踏まえて「リチャードホール」におけるコントのあり方を考えてみます。YouTubeなんかで一度ご覧になってみてもいいですね。その方が話が早いです。
まず、多少噛んだくらいならそのまま放送してしまっています。この「多少」がかなり緩い。
そして、アドリブが当然のように盛り込まれている。
さらに同じコント内で、誰かがやったコトに対して周囲の芸人が普通に笑ってしまっている。
作り方としては「LIFE」のようなしっかりした台本とは、真逆です。台本そのものに、意図的に虫喰いを作っておくような撮り方。
その上で、おそらく同じコントの台本なのに中身の違うものがそれぞれに配られていると思われる。
アンタッチャブル柴田がメインのコント「パンダP」。動物大好きな「パンダプロデューサー」が、企画会議にて動物の笑えるトリビアをぶち込みまくる、というコントです。「モグラの穴掘る速度はカタツムリの3分の1」とかね。
パンダPのセリフに「お前ら俺の言った動物の話で笑っちまったら、それでコント書けよ」というのがあります。そして周りの構成作家役のおぎやはぎや中川家が本当に笑ってしまうという形。
「演者が笑ってしまう」ということ自体が、当然のように計算に入ってるんですね。
他のコントも、この基本ルールは同様。そしてアドリブも自由。
だから一本のコントで10分を超えるモノもあるし、フリーダムにやりすぎて変な空気になることもある。
そしてその振り幅からか、「LIFE」のような作り方では生まれないであろう恐ろしい爆発力がある。
ダウンタウンの「ごっつ」でもこの手法は使われていたかと思います(「ゴレンジャイ」で浜田さんが笑ってしまうようなことがあったかと思います)。
ただ「リチャードホール」の場合、そもそもその「演者自身が笑ってしまう」ことまでが台本になっている、というのが凄いんじゃないかな、と。
積極的にアクシデントを肯定する。芸人さん達の化学反応を楽しむ。
そういう「予期せぬ笑い」が、腹が痛くなるような笑いを生み出す。
そんな特殊なコント番組でした。
またやらないですかねえ、こういうスタイルのコント番組。
ちょっと次は「シャレ山紀信」だけに絞って考えてみます。