復讐。
やれ「復讐は何も生まない」とか、それどころか「復讐は更なる復讐を生む」とか。
復讐の先のことなんて、復讐の当事者には必要ないのではないか?
ジョジョの奇妙な冒険 40~50巻(第6部)セット (集英社文庫―コミック版)
- 作者: 荒木飛呂彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/06/09
- メディア: 文庫
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「復讐」といえば彼女、エルメェス・コステロ。スタンドは「キッス」。
彼女は自分の姉を殺した男、スポーツ・マックスに復讐するため、自ら刑務所に収監された。
そしてエルメェスとスポーツ・マックスの戦いも佳境に入った頃、エルメェスは仲間であるジョリーンに「これはあたしとヤツの問題だ」と前置きしてから、こう言うのだ。
「復讐」なんかをして失った姉が戻るわけではないと
知ったフウな事を言う者もいるだろう許すことが大切なんだという者もいる
だが
自分の肉親をドブに捨てられて
その事を無理矢理忘れて生活するなんて人生は
あたしはまっぴらごめんだし……
あたしはその覚悟をして来た!!(中略)
「復讐」とは自分の運命への
決着をつけるためにあるッ!
「結着」というのがミソであり、他人がどう思おうとそれも関係ない。それが「復讐」という行為の本質だ。
復讐が明るい未来を開くわけでもない。始まりを告げるわけでもない。
ただ何かを「終わらせるだけ」。
良いとか悪いではなく、当事者にとってただ必要なだけ。
正義とか良心、感情などで復讐を解釈しようとするから本質が見えなくなる。
「ジョジョの奇妙な冒険」におけるキャラクター達はみんな強い。それは身体能力が優れているからだとか、特殊な能力を持っているからだとか、そういう意味ではない。
善悪を超越した「己の定めたことは決して曲げない」という覚悟があるのが強い。
だから、主人公たちにとって敵となるキャラクターもものすごくカッコいいのだ。
ジョジョというのは覚悟の物語、とも言えるだろう。
復讐に必要なものは「覚悟」。
世界を支配しようとするのに必要なものも「覚悟」であり、それをとめようとするのにも「覚悟」が必要だ。
どこか頭で理解するようなエリアのさらに先が垣間見えるのが「ジョジョ」という物語。
人間とは何か。
ジョジョは紛れもなく、それを知るための一助となり得る作品だ。