心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

復讐の本質〜ジョジョの奇妙な冒険第6部より〜

復讐。

やれ「復讐は何も生まない」とか、それどころか「復讐は更なる復讐を生む」とか。

復讐の先のことなんて、復讐の当事者には必要ないのではないか?


ジョジョの奇妙な冒険第6部「ストーンオーシャン」にて、(少なくとも私の解釈としては)明確な「復讐のあり方」が語られているので紹介してみたい。


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「復讐」といえば彼女、エルメェスコステロ。スタンドは「キッス」。

彼女は自分の姉を殺した男、スポーツ・マックスに復讐するため、自ら刑務所に収監された。
そしてエルメェススポーツ・マックスの戦いも佳境に入った頃、エルメェスは仲間であるジョリーンに「これはあたしとヤツの問題だ」と前置きしてから、こう言うのだ。

「復讐」なんかをして失った姉が戻るわけではないと
知ったフウな事を言う者もいるだろう

許すことが大切なんだという者もいる

だが
自分の肉親をドブに捨てられて
その事を無理矢理忘れて生活するなんて人生は
あたしはまっぴらごめんだし……
あたしはその覚悟をして来た!!

(中略)

「復讐」とは自分の運命への
決着をつけるためにあるッ!

エルメェスコステロ


「結着」というのがミソであり、他人がどう思おうとそれも関係ない。それが「復讐」という行為の本質だ。


復讐が明るい未来を開くわけでもない。始まりを告げるわけでもない。
ただ何かを「終わらせるだけ」。

良いとか悪いではなく、当事者にとってただ必要なだけ。



正義とか良心、感情などで復讐を解釈しようとするから本質が見えなくなる。



ジョジョの奇妙な冒険」におけるキャラクター達はみんな強い。それは身体能力が優れているからだとか、特殊な能力を持っているからだとか、そういう意味ではない。


善悪を超越した「己の定めたことは決して曲げない」という覚悟があるのが強い。
だから、主人公たちにとって敵となるキャラクターもものすごくカッコいいのだ。


ジョジョというのは覚悟の物語、とも言えるだろう。

復讐に必要なものは「覚悟」。
世界を支配しようとするのに必要なものも「覚悟」であり、それをとめようとするのにも「覚悟」が必要だ。


どこか頭で理解するようなエリアのさらに先が垣間見えるのが「ジョジョ」という物語。
人間とは何か。
ジョジョは紛れもなく、それを知るための一助となり得る作品だ。