心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

人に教える時は「自分の教えた方法が100%正しいわけではない」ことも教えないとね

何年も同じ職場で仕事していると、自分の知識、経験も蓄えられていくし、そしてそれを「後から入ってきた新人に教える」という仕事が訪れる。



で、いざ教えるって時になると、例えば「タマネギをスライスする時は左手から包丁の腹を離すな」とか「ブリ大根作るときはブリを一度お湯に通しておくと、魚の臭みが取れるよ」とか教えていくんだけれども、一番教えないといけないことは


「俺が言っていることが完全に正しいわけではないぞ。もっといいやり方がいくらでもあるはずなんだから」

ということだと思っている。


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「俺の言っていることは絶対だ、黙って言う通りにしろ」
のようなパターンは、言い方を変えると洗脳であって、さらに言えば「教えている側に変化する土壌がすでにないこと」の表明でもある。

「俺はもう成長することを止めました」
と宣言しているように、私は受け取ってしまうのである。こんな人の教えについていきたくなんてない。向上心がない人から教われば、自分も影響を受けてどこかで止まってしまうのが怖い。



なにより教わった方の柔軟性を削ぐ恐れがある。
「他の人のやり方も見て、教わって、自分なりにベストを見つけ出せ」
という教え方のほうが、将来的に教えた側にもフィードバックする。

それは、自分の知らないよりよい方法を部下が作り出す可能性を残すからだ。
それをアホみたいなプライドをなしに、部下から素直に教われること。
それができるのは間違いなく「俺の言うことを黙って聞け」というタイプの人間ではない(なぜなら言うことを黙って聞けという行為自体が力の誇示であり、ゆがんだプライドでもあるからだ)。


「俺の教えた方法よりいいやり方が見つかったら教えてくれよ」
くらい言えるくらいの「教える側」でありたいものだ。