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心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

自分の「努力観」とジョジョ(特に第2部)の関係

考えたこと 読書

以前「努力」の本質は量より質である - 「げ」の一歩 改
という記事を書いたのだが、どうも(すくなくとも自分の)周囲を見渡す限り、自分の考え方のほうがマイノリティなようだ。
別に努力を否定しているわけではないのだが(とか言いながら私は「努力」という言葉が既に嫌いだったりする)、まあなんというか、みなさんそれなりに「努力の量」を信用しているし、実際それである程度の結果を得てきたということなのだと思う。

それでも私にとっての努力観が「質>量」であることは変わらないし、努力の量が少なくて結果が出るのならそれに越したことはないと思い続けていて、そうやって自分が満足、納得できる生き方をしてきたつもりだ。
・・・こんな私をすくすくと育てた素晴らしいマンガがある。

ジョジョの奇妙な冒険」である。



そもそもはじめに、私は努力が嫌いである、ということが立脚点となる。
子供心に同じことを反復することが嫌いで、人と同じことをすることが嫌いで、同じことをするなら考えうる限り、その中で人とは違うこと、前回とは違うことをしようとし続けてきた。

そんな中出会ったのが、いまや私の人生のバイブルの一冊ともいえるマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」だ。
「ジョジョ」を通して読めば分かるのだが、主人公達が努力して強くなるというシーンは極めて少ないのだ。3部以降、スタンド編に至っては全くと言っていいほどない。
ジョジョはジャンプに連載されてたのに「努力」が欠落しているのだ。

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それを端的に表したキャラクターがいる。第2部主人公、ジョセフ・ジョースターだ。

私の好きな言葉に、彼の迷言がある。

オー!ノーッ
おれの嫌いな言葉は一番が「努力」で二番目が「ガンバル」なんだぜーッ

ジョセフのヘタレっぷりを表したようなセリフだが、2部を最後まで読めば彼のこの言葉が強い意味をもった「名言」に変わっているはずだ。
ジョセフは物語の中で「人間を食う吸血鬼」を食糧にするような、食物連鎖の頂点に立つ「柱の男」と呼ばれる種族を4人も倒す。最後の一人、カーズに至っては究極生命体(アルティミット・シイング)となり殺すことは不可能になったのに、その殺すことができない生命体をもある方法で倒してしまった。
嫌いな努力、命がけの血の滲むような努力をしたとはいえ、その期間は一ヶ月未満。それで数千年を生きてきた人間を超越した存在「柱の男」を倒してしまう。
もう努力でどうこうなる相手ではなかったことは読んだことのある方ならば分かっていただけるだろう。

じゃあどうやって勝ったか。
それは知恵だ。「思考」なのだ。それがジョジョの醍醐味であり、自分の努力観を決定付けている。
ジョセフは自分の能力を冷静に見極める目を持っていて、努力以前の段階でそれを補うための「戦略」「戦術」を立てることに極めて秀でている。直接正面からぶつかって勝てない相手に対して横から不意打ちをかますような「作戦」を立てる。負ければそのまま死ぬのだから、これは卑怯でもないだろうし実に武術的な発想だ。
ジョセフは才能があったとはいえ、そこまで強力な波紋を練ることができない。だから自分の知っている「マジックの知識・技術」や「相手の心理を読んでの話術での誘導」などで戦力差を埋めるどころか、ひっくり返して大逆転して勝ったりするのだ。

そもそも突発的な戦闘状態に巻き込まれることがほとんどの「ジョジョ」において、努力は効率が悪すぎる。格闘技の試合のように日程が決まっているわけではなく、お互い謎の特殊能力を持っていて、それの探り合いながら戦いが始まるのだから。対策など取りようもない。
そもそも素振りや筋トレなんかで身に着く「基礎力」みたいなものが通用しないのが「ジョジョ」におけるバトルなのだ。

そんなジョジョを半ば崇拝している私。
そりゃあ努力がさらに嫌いになっていく。

いやいや、正確に言えば努力が嫌いなわけではない。
「何も考えない(考えさせない)努力」が嫌いなのだ。

例えば最近、自宅で模造刀で居合のひとり稽古をしているのだけれど、これを例えば古い考え方で「一日100本抜刀だ!」とやってたら確実におかしくなるのは目に見えている。
一本抜刀するたびに「刃の軌道がぶれた」とか「力が入りすぎ」とか「鞘引きが足りない」とか、ちゃんと身体と頭とを連動させているからこの稽古は意味を持つ。見てくれている先生もいないのだから尚更だ。
身につけたいのは筋力ではなく身体操作なのだから。
これをちゃんとやると分かるのだが、20本やそこらでむやみに繰り返した稽古よりも疲れるし、得るものもある。

やはりそういう実体験のなかで、私は努力とは「質>量」だと再確認するのだ。
ちなみに質が高まりすぎて頭も身体も理解できないところに突入する時がごくまれにあって、その時は「ん?今の抜刀非常に良かった気がするのですが何が起きましたか自分の心身さん」という語りかけが始まり、気がつけば量もかなり増えているということがあるのだが、こういう努力量は歓迎するものだ。


まあなんというか。
どうしてもあまりに質の低い努力には「無駄」を感じてしまう性分なのだろう。
ひねくれてるんですね、ある種。筋トレでさえ筋肥大を目的とした場合量より質(重負荷で低回数のほうが筋肉は太くなる。ただ回数をこなすだけでは筋持久力が強くなるだけででかくはならない)ってことが科学的に証明されているわけで、目的にあった努力を「努力を行う前にしっかり考える努力」、努力の質を高めるための努力をしないと希望の結果が訪れないことは多々あると思う。

そういう意味で「努力は量より質」なのだ。
寄り道が後々無駄にならないってんなら、その寄り道も中に組み込みましょうよ。私は自分の一人旅のスタイルから、努力についてもそう思う。

・・・あれ?ジョジョの話どこいった。