心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「努力していること」を誇るな

しゃっ。「げ」です。
以前も同じようなことを書いたと思うんですけど、自分の中で割とタイムリーな話題なのでタイトル通りのことについて少々。


いいネタにもなるので落ち着いたら触れますけど、新しいことを始めると新しいことを覚えるための努力というのが必要になる(いま、ちょっと新しいことに取り組んでいます)。
私は努力は嫌いだから、単純な反復練習を要するスキルの習得でもその間にちょこちょこ動きを止めて考えたり、同じ運動であっても速度を変えたりしながら「作業感」を消し、主体的な練習になるようにしているわけだ。

そんな姿は別に誰にも見せるつもりはないし見られたら見られたでいいんだけど、それを見た周りの人間が「頑張ってるなー」とか「真面目だな」とか声をかけてきた場合にげんなりするって話。

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上のような言葉をかけてくる人間は「努力すること」自体に意味や価値を見出していて、おそらく自分自身もそういう評価基準を当てはめているのだと思う。

すげえ努力する

結果が出ない

「こんなに頑張ってるのに」

みたいなパターンで思考停止するイメージだ。


努力は手段であって目的ではない。
目的を達せられるような努力ではなかったことにたどり着いたら、努力の中身を変化させなければならない。



「毎日10キロ走ってます」
うん、すごいとは思いますよ。私は長距離走るの嫌いだし。
でも本当に重要なのは何のためにそれを続けていて、どんな結果をイメージしていて、実際にそこに近付けているかであり、その結果をよりスムーズに引き出す他の方法があるならそっちやりましょうよ、とか考えてしまうのが私だ。



いい歳になって「努力していること」自体にプライド持つのは、個人的にはちょっと恥ずかしいことだと思います。
努力なんてものは基本的に人知れず影で行うものだし、何より自分がバカだって公言しているのと変わらない。


誇るべきものは努力の内容とその意味であって。
ズレた努力が全くの無駄だとは言わないが、少なくともトライアンドエラーによって思考を洗練していくという努力に関しては手をつけていないということは理解すべきだと思うのである。


思考を広げる まとめる 深める技術

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