心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

課題設定とアプローチ

久しぶりにお仕事の話でもしましょうかね……。
今月は比較的仕事が薄く、来月はまた忙しくなっていく。
ということで今月は個人レベルで仕事の作業効率を上げていきましょうってことで、それぞれ自分で課題設定してみましょうって話になり、それをやっているんですが……。

正直、一部の人が全くそれをできていない感触がありまして。自分がそれを十全にできているというのも烏滸がましいですけど。
とはいえ分からなくもないんですよね。このような「自分で自分の課題設定を行う」というのは、個人的にはある程度の訓練が必要なことであり、しかもこれって学校ではあんまり教えてくれないと思っているので。

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学校で出される課題は、基本的に先生や教科書から与えられたものになります。
宿題とか良い例ですわな。基本的には、生徒全員に共通の問題が配られます。
小学生が「僕は割り算が苦手なので、それ用の計算ドリル多めに取り組もう」とか自発的に考えることは稀だと思うんですよ。
なので基本的に、特に高校くらいまでだと「自分に対して課題設定する」というトレーニング自体がまともに行われないのかなあとか思います。

あえて言うと、小学校の作文とか高校の小論文とかですかね。テーマは与えられますが、そこから何をどのように書くのかはほぼフリーですから。
ちなみに小学生の頃は、修学旅行で会津若松に行ったことについての作文を昼に食べた蕎麦屋の話だけで書き上げた変な人間が僕です。普通に鶴ヶ城なんかも見てたのにこの視点だよ。

閑話休題
とはいえその辺も振り返ると、書きましょうという課題は与えられますが肝心の「書き方」の授業はなかった気がします。
幸い自分は適性があったのか、そういうのは得意だったんですが……一方で苦手な人はいつまでも書き始めることができないでいた記憶です。
よく考えたら大学でも、論文の「書き方」のフォーマットとか基本ルールって教わってないんだよなあ……などと。
幸い色んな本や文章を日常的に読む人間だったので、さほど苦労はなかったですが。


そういう「課題設定力」。
これはどこで身に付くんですか……というと、完全に個人の経験ですが格闘ゲームだったりしました。
例えば難しい入力が必要なコンボがあり、それが完走できないとします。
そうなると自分で「そのコンボのどの部分で失敗しているのか」を分析して、その上で「その部分を成功させるための練習」を考えて実行するわけですね。
コンボパーツが分解できるようなら、失敗しやすい部分「だけ」を抽出して、繰り返しその部分の入力練習をするとかそういうやつ。
あるいは他の上手い人がプレイしているのを見て学んだり。当時は自宅でオンラインゲームなんてなかったので、ゲームセンターで人のプレイを見るのも大事でした。

格闘ゲームではなくても、アクションRPGでも言えるかもしれません。ダークソウルとかエルデンリングはその辺顕著かも。
倒せないボスがいる。突破する方法は色々思い付きます。
単純にレベルを上げる?何か効果的なアイテム・魔法やスキルがあるか試す?そもそも倒さずに進める迂回ルートがあるかもしれない?etc……。
「ボスが倒せない」という課題はゲーム側から与えられたものに近いですが、学校の宿題と違って全員に共通のものではありません。どのボスに躓くのかも人次第ですから、そういう意味では同じゲームをやっていても「課題」は自発的に生まれるものです。

一般的な人なら、学校生活で課題設定力を養うとすれば部活とかになるのかな……とか思ったりします。
自分は部活、中学高校ともに入った部活がゴリゴリの体育会系の温度感で、それが合わずほとんど幽霊でした。それこそ体育会系のノリが強い空気だったこともあり、今回書いているような「自分で考える」の余地があんまりない環境だったんですよね。
もっと「自分で考えること」をさせるタイプの環境ならば、部活は課題設定力を養える場所かなあとは思ったりしています。

あとは社会人になってからでも。

休日に何か物作りを趣味にしている人とかは分かりやすいかもしれません。
レザークラフトとか編み物とか、自分で何か作る系はまさにって感じ。「何を作るのか」「そのために何が必要で、どういう技法を用いるのか」はまさに課題設定とそのアプローチです。

簡単なところだと、こうやって今まさに書いているブログとかもね。
何をテーマにするのか。どのような画像を載せるのか。言いたいことは何か。
まあ自分の場合は結論ありきで書くかはテーマは気分で変わりますが、自発的にやっているという意味ではやっぱり「課題設定」しているとは言えるかも。
自分の場合、水曜日のみお休みで週6日更新。大河ドラマのある日曜日は放送直後、他は18時更新というのをなるべく守るというのも課題っちゃ課題になるかと思います。

まあなんにせよ、趣味とかそういう脇道の方でこそ「課題設定力」ってやつは鍛えられると思っていて。
逆説的にあまり趣味がないような人だと、こういう力が弱いのかなあ……なんてことも思うのですね。


翻ってお仕事のシーン。

自分の優れている点、足りない点を分析する。
その上でどこを伸ばすかを設定する。
これらは、いきなりやれと言われても難しいと思います。社会人になってからこれができないことに気が付く人もいるだろうし、そもそも社会人になってから「それができないこと」に気が付いていないままの人も結構いると思うのです。というか今の職場に数人それっぽい人がいるんだよなあ……という話。
気が付けば(そこから本人の意志があるなら)伸ばせる力のはずなんですが、ゼロからだと「どうやって課題設定力を付けるか」すら分からないだろうから、大人になってからこれに直面するとマジでキツそうって話。

「脳は老化ではなく、使わないことで退化する」みたいな論文が出た……みたいなニュースを先日見た気がします。
辛辣だけど事実だと思う今日この頃。高齢でも、飲食店なんかで現場に立ち続けている人って頭もはっきりして元気なことが多いですからね。
一方で若くても能動的に頭を使う習慣がないと……うん。

正しい努力

さて。
「適切な課題設定」ができたとして、今度はその課題を達成するための「適切なアプローチ」も考えることができないといけません。
ここもあるから、本当の意味で「課題設定」ってやつは難しいわけでして。

ダルビッシュ投手の有名な言葉があります。

練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ

努力や練習のやり方がいかに大切なのか、端的に表した言葉だと思います。

野球で例えれば、ピッチャーが新しい変化球を習得しようとしたとしましょう。
この時にひたすら走り込みをしたり、筋トレだけをしたところで変化球を習得することはありません(代わりに球速は速くなりそうだけど)。

設定した課題に対して、それを達成するための正しいアプローチまで設定できないと意味がない。

「仕事の能率を上げる」ためにどうするのか?というすごく簡単な例を考えてみます。
単純に速度を上げるのか、それとも見落としのようなヒューマンエラーを減らすことで、結果的に確認部分にとられる時間を減らすことで能率を上げるのか?
例えばこの二択から、自分に対する課題として後者を選択したとします。
ここで「見落としを減らす」という課題を自分に与えておきながら、雑に単純な作業スピードアップをしようとしていたら本末転倒なわけで。当然ですがその方法論、ミスは増える傾向が予測できますね。

だから実際には激ムズなはずなのよ

正しい「課題設定」をした上で、その課題達成のための正しい「アプローチ」を行う。
クイズで言えば実は2問連続で正解していないと効率よく前に進めないわけで、そういう風に見ると実に難しい行為だと言えます。カイジの「沼」の三段クルーンみたいなもんです。
これをなんの教育もなしに「やれ」って言われても、これまでの人生でやってきたことのない人には土台無理な話では?というのが個人的な見解。

そもそも「自分で課題設定する」ことすらまともにできない人、そこそこいるんじゃないですかね?
それが正しいものかどうか以前のお話。言われたことをただやることしかできないタイプ。
これ、いわゆる高学歴だけど社会に出たら役に立たないってやつも同じパターンな気がしています。
「テストで高得点を取る」って、それ自体の難易度は別として「課題設定」としては単純明快ですからね。どうすれば点を取れるのかについても基本的にはパターン化されているでしょうし、この能力に長けていることを貶めるつもりもないですが、一方でこの能力しかない場合「自分で課題設定する」ことができないまま、社会に出ることになりそうです。



久しぶりにすっげえ長々と偉そうに書いてきたけど、自分も本当に正しい「課題設定」と「アプローチ」ができているのかというと、自信を持ってできてるとは言い切れないわけで。
今回のは自戒の意味も込めた記事ですね。定期的に自分がやっていることを振り返らないとダメですね。