心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

言葉には力があるってことを多少は意識しようぜ


この前の「頑張る」って言葉が信用できないってやつの派生でこんなことも書き殴っておく。

一見逆のこと言ってるように見えるかもしれませんが。
「頑張る」という言葉には力がないということを言いたいわけではなくてですね、むしろ「頑張る」ということに縛ってしまう思考停止の力があるのではないかっていう考え方をしています。「頑張る」ことだけで、その他の創意工夫とかの柔軟性を奪うというか。
つーか安易に「頑張る」を口にしてる人はどこかで「頑張るって言っときゃ体裁整うだろ」みたいなこと考えてないかね?……いや、口悪いけどそんなことまで考えられるくらいなら安易に頑張るとか言わねえか。

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もう少し言葉の観点で話を拡大してみる。

例えば人の愚痴とか、環境の不満ばっかり漏らしている人。
こういう人は自分がそういう発言をすることによって周囲がどうなるかってのをイメージしていないですよね。まあ普通に考えると発言者本人の周囲からの信頼がズブズブ落ちていくのは想像できると思うんだけど、それでも止められない。
さらにそういう言葉を口にしていることで、それが何処かから漏れてしまう可能性なんてもはや100%みたいなものですから、結果面倒な人間間の問題が発生することも簡単に予想できる。

能ある鷹は爪を隠すではありませんが、「頭が良いな」と思える人というのは発していい言葉というか、タイミングとか相手とかまで考えて選んで話している。加えて愚痴や不満みたいなものはかなり少なくて、それらは言葉にしても変わらなくて行動で変えるしかないことを理解している。
結局は自分で変えようとしてない人に愚痴とか多いように思う。


個人的な考え方になるけど、生きること自体が基本的には苦行ですから、そんな苦行ライフで得られることの大部分はネガティヴなものなんですわな。
それをそのまま言葉にしていれば、その大部分はネガティヴな力を持った言葉になってしまう。
「仕事がつまらねえ」とか「アイツマジウゼェ」とか。

だからこそ選ばないといけないわけですよ、発する言葉と言うものを。
つーか「貴方が仕事つまらないのは私には関係ないわけで、ただこちらのテンションが下がるだけなのでそれ伝えなくても良くね?」くらいのことを言い返したいが、それを言っちゃうことでさらに空間が悪化するのを理解しているからぐっと我慢している身にもなっていただきたい。マジで。


「言葉にして人に相談するだけで悩みが楽になる」
「悩みごとはノートに書き出してみる」
この辺はもう言葉が力を持っていることの証明みたいな気もする。こういうのはプラスになる力の使い方なのかもしれませんな。


なんだかねえ。
こういうこと書いてるのが割と愚痴とかと同じベクトル向いてる気がして批判されそうではあるけれど、それでも書いておきたいなあと思ったんですね。

やっぱり多くは語らない、みたいなのがシブいし良いんですかね。大学の講義とかで誰も発言しない、あの沈黙とは意味合いが全く違うけど。
愚痴になりそうな時はなるべく愚痴にならずに生産的なアプローチになるように意識はしてるけど……言葉というものは大変に難しいものであります。