心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「頑張ります」が一番信用できない

嫌いな言葉として「頑張る」がある。
仕事でも学業でもなんでも良いんだけど、何か課題を与えられた時に「頑張ります」だけ言う奴って経験則上大体長持ちしないんですね、その頑張りがね。

「頑張ります」じゃねえよ。
具体的にどのように頑張るのかの部分を聞きたいんだよっていう。
もっと踏み込むと「如何に頑張らずに成果を上げるか」を考えろよって話なんだよ。

ハッキリ言うと大抵頭を使ってない人が第一声に言うイメージなんですよね。

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常々思ってるけど基本的には精神論では人間は変われず、変われるような環境や習慣が前提でそこに根性ややる気が乗るから変わることに成功するのであって、精神論ありきではない。
それは修造のような特別な人間にのみ与えられた才能であり……と書きつつ思ったけど、おそらく修造もしっかり色々な下ごしらえをしてから「もっと熱くなれよ!」を言っているのではないかと思う。


「頑張りますって言ってたわ」
みたいな話を聞くと
「ああ、まあはじめは誰でもそう言いますよね」
と答えてしまう程度には懐疑的になっている。

日本人だけなのか分からないけど、異様に精神的なヤル気めいたものを美化して見ていますよね。
仕事も普通はしっかり自分の分を時間内に終わらせて定時で帰るのが「仕事ができる」になると思うんだけど、そうじゃない。まあ今はブラック企業による残業パニックとかもあるから、この例えは複雑な様相を呈していますが。


「頑張る」って言葉は、使い方によっては思考停止させるような場面もある。
「頑張る」前に「考える」ようにしながら生きてはいる。
それでも小さい時から半ば刷り込まれてきた言葉だし、ふとした時に「頑張るぜー」という表現は出てきてしまう。

「何も考えずにただがむしゃらにやる」≠「頑張る」
「何」を「どのようにして」行うのかを組み立て実行する=「頑張る」
これを忘れずにおきたい。