毎週文句たらたらで観ながらも気がつけば最終回です。
「ようやく終わるか」という自分へのお疲れ様感が凄い。面白かったとかじゃない。
最終回が鹿鳴館ってのがよく分からないんですよね。
「主人公が死なないで終わる大河」ってのはしっくりこないよなあ……。
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伊藤伯爵登場。
最終回にしてようやく洋装デビューした文さんと、このタイミングでまだ生存している奴らを勢揃いさせて「今年の大河ドラマ」のお祭り騒ぎといった装いですね。
なんかアレですね、美和さんは安子さんに異常に気に入られてるという。
百姓や商人こそが学ばねばならないという。
この夫人どもの「下々の人間が……」という発想がな。そもそも群馬の生糸が使われていることを知らないというのが頭悪くねえかっていうね。
そして津田梅子ファインプレー!
尺の都合なのか理解がやたらスムーズな夫人たちであった。
仁先生はこんな場所でもきっちり列車作りたいで声をかけてます。
そしてまた「やった」文さんのおかげで列車も進みそう。
かーちゃんと一年間の大河を振り返って、「民放っぽい」という言葉が出てきましてそれだわ!と。
大河ドラマでやるべきことじゃねーんだよなーを毎週思ってたけど、それがこの言葉に凝縮されてる気がするのよ。完全に悪い方向に大河ドラマの格式がロストしてるんだよな。
民放の作った時代劇のテイスト。しかもそれが民放よりも安っぽい。
最終回はいいことばかりが続く。
群馬の就学率1位で鉄道敷設も認められて、女工さんたちは生糸マスターしたので地元に帰る。
そして群馬迎賓館ですってよ。
……辞める気だ。
これは仁先生が退職を考えてる顔だ。
やっぱりだ!
本来は余所者だしね。道筋を作るまでが自分の仕事だと思ってたのかねえ。
個人的には文さん的には不完全燃焼なんじゃないかと思ったりする。まだ「女の学びの場」は完成してないと思ってたんだろう。
だけど阿久沢嫁は「アンタのおかげでみんな自分で考えられるようになったし、あとは任せろって!」と言いました。
群馬だけじゃねえもんな。新しい日本人を作り、育てるんだもの。
……ふと思ったけどなぜタイトルが「いざ鹿鳴館へ」なんだろうな。鹿鳴館開始10分くらいで終わってるし、そこメインじゃなくね?
まあともかく、群馬の女たちも独り立ちする時が来たんだな。
さあ、寅次郎、久坂、高杉とニョキニョキ名前が生えてきた。
死んでいった奴らの作った道を……って三条さん太政大臣になってたの!?
そして県庁の人たちには言わずに勝手に辞職したの!?
迎賓館のはじめのイベントは県令送別会だったのか……迎賓しなさいよ……。
終盤のオアシス、石原良純は東京で農業を教えることに。
「いいや。あんたが繋げてくれたんだ」はカッケー。
阿久沢が泣く。
女たちからは日本初の寄せ書き的なものが贈呈されました。「至誠」って書いてある。
あとは仁先生と文さんが演説してからの〜……。
群馬を去って〜……。
……どこ行くの?二人はどこに?
久坂からの手紙がまとまった書籍になったよ!巻物という形で。
ラスト5分は回想祭りかッ!!
久坂さんは志はかっこよかったけど現実見れてなかった。
高杉晋作は志と現実とのバランス取れてたから結果を残したイメージ。
「お前はどう生きる?自分の人生を、自分の命を。なんのために使う?」吉田松陰が松下村塾作ったころがピークだった感。
……あれ?
終わったよ?あれ?種が芽を出して終了。
納得行った人は何人いるのか……。
さて、来年は「真田丸」です。
今年の大河の残念っぷりを種にして芽吹くことが出来るか。