心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

誰かを特別には見れない

周期的に「彼女欲しくないの?」みたいな質問はされるのだけれど、「欲しくない」としか答えようがない。一人でいたい。
一人でいいのではなく、一人「が」いい。


1人でいく博物館の楽しさよ


昔書いたように、恋愛感情というものが極めて薄いために異性として……みたいな観点がない。
さらに自分で言うのもアレだけど、基本的には誰に対しても同じように接している(ので優しい人みたいに見られることが多い)。

結局は人によって大きく優劣が付くことがないので、当然彼女という特別な存在は自分の感覚的にはおそらく定義できなくなっている……と自分の感性を推察している。
あともう一回書くけど、やっぱり旅行とか行くのに1人がいいっていうのは大きい。ぶっちゃけ誰か付いてくるってなると邪魔。

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楽だから誰にでも同じように接している

誰に対しても優しいよね、的なことを言われたりもするけど、ネガティヴに自己分析すると「その方が消費するリソースが少なくて楽だから」が多少該当した。
裏表のない人ってのも褒め言葉風に使われがちだけど、それを計算して行ってる場合内面は結構黒いような気がする。

意識してそうしているわけではないけど、これまた「恋愛感情がない」から機能するようなシステムなのかなあと思います。
普通は好意を持っている人にグッとフォーカスするんだろうし……。


特別な誰かはいらない

例えば男女の差や、友人個人個人の性格やキャラクターによってある程度接し方の違いはあれど、だからといってそこに重要度の濃淡があるわけではない。仕事の繋がりもあれば上下関係によっての差異はあるけど、個人的な好き嫌いによる差異はない。

適材適所的に立ち回りは変われど、ステージとしてはみんな平等なんですよね。男女も問わず。
嫌いな人……も正直いない。苦手なタイプの人はいるから、そういう人は初めから距離を取っておくようにしているから嫌いになる前の状態でキープできる。


よく言えば平等なんだろうけど、逆にいうとあんまり他者に対して興味を持てないんでしょうね。よくこれで以前飲食店で働いてたな……と一瞬思いつつも、そのくらいの少し距離を取れていたからこそ上手くやれてたのかもしれなかったりして。

良いことは一応あって、周りの目もさほど気にならないので「いや、僕は僕なんで……」って感じで萎縮せずに行動したりできる……気がする。
自己肯定において周囲の評価を必要としないので、精神面では楽だし生きるの楽です。