心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

責任の選択権や濃淡のお話

いきなりだけど、背負う責任にもある程度選択権はあると思うんですよね。

責任と判断 (ちくま学芸文庫)

責任と判断 (ちくま学芸文庫)

露骨なやつだと、上司が自分の保身のために部下になすりつけて尻尾切りするようなパターンの責任とか。
責任感は確かに大事だとは思うんだけど、それは本当に自分が責任感を持たなければならない責任なのか……みたいな根本問題、あると思いますがどうか。

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自ら背負うべくして背負った責任と、外部から押し付けられた責任とでは、もうスタート地点の段階で全然違う。


背負わされたから必要ない、完全に責任を放棄して良いということにはならないけど、精神的な感覚では軽く捕らえても構わないような責任ってのも幾分存在しているように思う。


極端な責任感も動きを鈍くするし、時に大胆に動かないといけない時に動き出せなかったりする。
真面目すぎる人とかこういう感じが顕著なイメージがあります。スタンバイ100%にならないと不安で行動できないみたいなタイプは、そのまま責任感に対しても同じ感覚が適応される気がする。


自分がどういうタイプの人間かをまずは自己分析してみるのが大事。
自分で真面目すぎて実直すぎて、なんでも背負い混みすぎる傾向があると思ったらもう少し手を抜くように工夫する。
逆にあまりにも適当にやってるなあと思うなら、少し意識をしっかり向けて取り組んでみる。


これに加えてそれぞれの責任に対してのウエイトも分析して、ある種段階的に責任の順位付けしていってもいいんじゃねえかなと思いますよ。