なーんかこうやってぽんぽんブログのタイトルを変えてると、強ェブロガー様たちはやれ「軸がない」とか「コンセプトブレブレなのが丸わかりじゃん」とか思われそうなんですけれども、
全くもってその通りなので弁明のしようがありません。
でもわたしとしてはそれでいいと思ってるんですね。
このブログで扱ってる事柄は小難しく考えた答えの出ないようなことだけじゃなくて、マンガや映画、読んだ本、旅日記風の記事まで広がっていて、屁理屈こねたら「コンセプトないのがコンセプト」なわけで、そんなもん軸がなくて当たり前じゃないですかっていう。
本当に「心に浮かぶよしなしごと」を書いているという状態の現代の徒然草。
まあマジモンの徒然草はというとかなり自己啓発にもなる良書なんですけど。さすが吉田兼好。
んでそんなわたしの「心に浮かぶよしなしごと」、これは果たしてなんなんだろうかと考えてたら、スゲーいい言葉に出会いました。
それが新しいブログタイトル
心の雑草
です。
スポンサードリンク
心の雑草
- 作者: 鈴木俊隆,松永太郎
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2012/06/20
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
アメリカに禅の思想を本格的に伝えたお坊さん、鈴木俊隆さんの著書を日本語に訳したもの。
「修行・態度・理解」の三部に分かれており、さらにそれぞれが細かくチャプター分けされているので読みやすいし、もともとが禅を知らないアメリカ人向きに書かれていることもあってか内容もすっきりしていて分かりやすいです。
で、こちらの本の第一部5章のタイトルこそ
「心の雑草」
である、と。Mind Weedsであると。
心の雑草には感謝すべきです。やがては、あなたの修行を豊かにするものだからです。
厳密に言えば、どのような努力も、修行のためにはよくありません。それが心に波をつくり出すからです。しかしながら、なんらの努力もなしに、心の絶対の静寂を得ることもできません。努力をしなければならないけれども、努力をしているという自分を忘れ去らねばならない。ここでは、主体も客体もないのです。どのような気づきの意識もなしに、心は非常に落ち着いています。
私たちは、すべての努力が消え去る最後の瞬間まで、自分を励まして、努力することが必要なのです。
これこれ、これですよ!!ブログ自体とはあんまり関係ないけれど。
「努力している意識がなくなるまで努力する」って考え方は普遍的かなあと思ったりして。
楽しいことは全然続けられるし、何より「努力している」って意識はないし。
結局ブログって「心の雑草」を書き綴ってるんじゃないのかという気持ち
心の雑草という言葉にひるがえって考えてみるに、こうやってブログに書いているいろんなことのほとんどが「心の雑草」と言えるんじゃないか?とわたしなりに着地したのが昨夜のできごと。
「禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書)」内における心の雑草とは異なって「努力」という因子についてはあまり触れないけれど、それでもブログってもの自体が「その時、その空間」を停止して切り取るような側面がある以上は居着いちゃってるし雑念っちゃー雑念なわけだし、それすなわち修行にとっては余計なものであって「心の雑草」ですよねっていう。
禅の思想では「今」という一点にひたすらフォーカスすることを目指しているわけで、これはおそらくわたしとすごく相性の良い考え方だったんだと思う。おかげさまで激ハマリしてるしね。
何より「今」が終わったらそれは「過去」になるし、そこにはもう捕らわれないようにしましょうねっていうのは、「今」を発信し「過去」に残すブログっていうものがスーパー反しているとも言えるわけで。
こんな記事書いたことにもリンクしてくる。
わたしが「旅をしながら生きていきたい」と考えるのも、それが今までの一人旅の経験から「今」にずっと近い日々を送ることができることを知ったからであると考えれば合点がいくし(旅の最中ってせいぜい明日のことくらいまでしか考えない)、そんなわたしがブログも楽しく書いているのってどういうことなんだろうって思うわけ。
自我を捨てていく。「今」にフォーカスしていく。
それでいてブログは続ける。
そうなるとわたしにとってのブログの役割って「心の雑草」と呼ぶにふさわしいんじゃないかと。
このブログは後々肥料に変化して、わたしを成長させてくれるはず。成長させてくれ風のことも読み返すと微妙に書いてる。
いいじゃんね、「心の雑草」って。長々書いてきたけど「心の雑草」って語感に強く惹かれたのが一番の理由ですよ。
もちろん「ブログで旅する」っていう目標は持ち続けているし、やっぱり自分の精神とブログというメディアの合一ってのは求めていきたいところではありますが。
悩ましいぜ・・・モンハン4G買おうかな。