心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

大した文章力もないなら「ですます調」で書くのはやめよう。やめます。

「ですます」調で陥りがちな単調な文章は誰も読まないから気をつけろ

この記事を読ませていただいたのだが、最近のこのブログの悩みとも直結しているような気がする。

このブログの変遷としては最初期は「ですます」、その後「だ、である」調で書いてて、途中でブログ自体の在り方をいろいろ考えてみたときに「ですます調に戻すか」と思ってここまで書いてきたけれど、ずっと感じていたことがあって。


やっぱり書いていて息苦しいというか、文章がどこかパターン化されてしまうんですよねコレ。

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パッと外見はキレイに見えたりもするんだけど、書いてて酸素が足りなくなってくるみたいな沖縄の海の底状態。

「ですますやめようぜ」まではいかないけれど、もっと自由に書いてもいいのかしら?などと思うわけでありんす。


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他の方のブログを読んでみると……

というわけでそういった「文章のスタイル」みたいな観点で自分が購読させてもらってるブログを読んでみると、どれもこれも文章に緩急みたいなものがあって面白い。
一見「ですます調」でキレイにまとまってるスタイルの人でも、体言止めを使ってみたり。
また「ですます調」をベースにしつつも、時々砕けた表現で文章を終えたり。


思えばもう1年もブログやってるのにそういった方面で他の方のブログ読んだことなかった。アホか俺。そりゃPV数も最近落ち込んで行くわ。

僕みてえなもんは定まったスタイルで書くとダメになる気がする

そんな風にして自分とこのブログをさーっと読み返してみると、中盤期の「だ、である」を中心に書いてた頃が一番活きがいい感じでして。

でももっと良くなるじゃん。良くなるっつーか書きやすくなるじゃん。それは全てを混ぜ込んでしまうこと。
特に話し言葉くらいの砕けた表現、たまに入れるとリズムが新鮮になるっぽいことにコレ書きながら気付いてるという。


「自分」の壁 (新潮新書)

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養老先生ですらたまーに「ですます」ではない表現をアクセントに加えてますからね。変化付けてあげるの大事。


まとめ〜なんか小説みたいなもんなんじゃねーの?〜

結局ブログだろうが小説だろうが根本的には同じであって、内容とは別に「言葉のリズム」みたいなものは絶対面白さとして大切な要素だと思うんですよねえ。
いくら扱ってるテーマが面白いものでも、読みにくかったり単調な調子で進む文章ってのは読者のSAN値を下げて行きますから。

わたしのブログなんかは特に専門性にも特化せず、映画や漫画から旅行記、考えたことまで雑食に書いてる現代徒然草みたいなカオス状態ですから、やっぱりそういう「コンテンツとして引っ張れる武器」が分散して弱い場合は読み物としての面白さをブラッシュアップしていかなあきませんよ、と言われた気がしたのでした。

「ですますをやめる」のではなくて、「ですますに囚われない」ってのが正しいかな。
「ですます」も使う。「だ、である」も使う。「ありんす」も「でやんす」も使う。


諸行無常。仏教思想を盾にして自分の変化を正当化しまっせ。

というわけで今後は再びラフな文章になっていくと思うので、皆様よしなに……。


その辺考えるとマジで志賀直哉先生すげーと思ってしまうんですけど。ある種その文章のリズムみたいなものをソリッドに磨き切ったスタイルなんだろうな。
永遠の目標である。